クワイエット・サマー
夏の名残りか、蝉時雨が秋色の風の中に
降り注いでいる。
どこやら気の定まらない日々に、
ブログもすっかり休んでしまった。
この夏は、思い立って墓参りに、瀬戸内の
故郷へ帰った。飛行機から見る瀬戸内海に
浮かぶ島々は実に美しく穏やかに見えた。
(それほどに、僕の心はササクレ立っていたのだろう)
帰ってしまえば、少年時代の友人たちと毎夜過ごし、
古くから通ったBar「露口」に出かけ、
断酒の禁を解き、したたかに酔った。
商店街を歩き、さまざまに変った店、
残っている店を眺めながら歩いた。
小道を入ると、昔ながらの暖簾に「ことり」とある。
ここは鍋焼うどんと稲荷寿司しかない。
僕の田舎で鍋焼うどんというと、他の地方のものとは大きく違う。
アルマイトの小さな鍋に、甘口のつゆ、
揚げを刻んだものに、少量の牛肉、
薄い蒲鉾が2枚に小口葱が乗っている。
讃岐うどんのようにしこしことしたことさらな主張はない。
うどんは柔らかめではあるが、ふにゃふにゃではない。
要は優しいのだ。
鍋焼うどんとお稲荷さん1コを頼んで昼飯にする。
美味いかと聞かれると美味いと答えざるを得ない。
しかし、そのうち70%はノスタルジーである事も間違いない。
過去の自分の時間が愛しいのである。
自己愛が強いのだろう。
少年期の喪失感が大きいためだろうか。
「ことり」を後にして、甘味処「みよしの」へ行く。
ここも、戦後間もなく開業した店で、
カウンターにテーブル席が3つほど。
あんみつや五色おはぎ、夏にはかき氷もある。
1人で5個のおはぎは無理なので、
宇治金時にする。昔は、この店は女子学生の溜り場で、
男子校であった僕たちには、
少し聖域の如き趣きがあったものだ。
墓参りに、父親の実家の方へ出かけた。
照りつける日射しの中を歩きながら、稲の上を渡る風の涼しさに、
また、故郷というものを思う。
こうした想いを断ち切られてしまった東日本大震災で被災された方々や
原発事故で地元を離れている人々の事を思うと胸が痛む。
僕の故郷は、戦争で丸焼けになった。
しかし、街の真ん中の小高い丘の城は残った。
15万石の城下町の象徴である。
残った城を見上げながら、父親の世代は懸命に働き
復興したのだろう。その頃の青い空とこの夏の空の青は同じだろうか。
♪こよなく晴れた青空を 悲しと思うせつなさよ
♪うねりの波の人の世に はかなく生きる野の花は
♪なぐさめ はげまし 長崎の あ々 長崎の鐘が鳴る
突然、僕の頭の中に藤山一郎の「長崎の鐘」が流れてくる。
1949年、サトウ・ハチロー作詞、古関裕而作曲の鎮魂歌である。
戦後の復旧・復興に向かう哀しみとの決別の歌である。
僕の夏には、いつも、この歌が流れてくる。
大震災が故だろうか、
高校野球も、ヒロシマもナガサキも、
終戦記念日(敗戦記念日ではないのかなァ)も、
どこか静かな夏であったから、
なおさらに、この歌が心に沁みてくる。
夏は燃えるようでいて、悲しい。
それは、戦後の記憶と、母が亡くなった
8月7日の旧暦の七夕が重なっているからか。
あの夏から、12歳の僕は、1人生きる事に
心を砕き始めたのだった。
故郷から帰ると、翌日は、
友人の写真家T原桂一の還暦祝いに、
築地・新喜楽へ出かけた。桂一らしい、
豪勢な数々のワインとシャンパンに、また、酔ってしまった。
そのまま帰りきれず、Y岡と、Bar「Track」へ寄った。
思えば、桂一もY岡も、みな複雑な人生を送っている。
それも、人それぞれだ。
大きな波、小さな波。TSUNAMIもあるかもしれない。
流されず、闘いつつ、逃げるのが良いのだろう。
人生の陽は西に傾いている。
決算の日が、近づいている事は間違いない。
僕のこの夏は不思議な静けさが漂う夏だった。
<城山を上る日傘の三つ四つ>
<石段を上る日傘や影黒し>



