アップル
10月5日、56歳の若さでスティーブ・ジョブスが亡くなった。
膵臓の病は、やっぱり命取りになるなァ。
アメリカン・ヒーローも結局病には勝てなかった。
ところで、僕は、Macが嫌いである。
ウチの事務所は、すべて、Windowsである。
表現の世界にいる者にとっては、ほとんどがMacなので、
Macの方がデータのやり取りなど便利である事は、
充分判っている。
ま、今や互換ソフトがあるので大した不便はないけれど、
しかし、若干面倒という事もある。
何故、嫌いか。それは、この「リンゴ」から始まる、
Macのデザインの指向性に幼なさを感じてしまうからだ。
初期の頃は、ウエイティングの間に、
アイコンが、眼玉を左右に振っていた。
これが、もう堪え難いのである。
ちょうどその頃、雑文を含め、
広告以外の文章も数多く書き始めていたせいか、
人の生き死に、幸、不幸のあり様、
何故僕は生きているのか…そんな事を考えながら打つ文章が、
この眼玉で思考停止してしまう。
アップルのロゴにしても、アダムとイブからの発想なのだろうけど、
発想にジャンプが無いと思った。
何故、美しい書体で、Macとだけ入ってなかったのか。
1960年代のアメリカを代表するアートディレクター、
ハーブ・ルバーリンが創ったアヴァンギャルド誌の
タイトルを始めとするさまざまなタイポグラフィは、
時代を超えたアメリカンカルチャーの洗練そのものではないか。
こうした先人の偉業をスティーブ・ジョブスが
知らない訳はない。
彼が、類い稀なビジネスマンであり、
アメリカ人としては異種美意識を持つ職人であった事は、
それはそれで素晴らしい。
しかし、彼は多くの人が称えるような天才ではないだろう。
天才とは、狂気の崖っぷちに住む人であり、
コンピューター会社のCEOなど勤まるはずもない。
僕は決して、彼を卑下してるのではない。
彼の残した業績には深く頭を垂れるしかない。
でもサ、あんな子供っぽいデザインじゃあ、
マクドナルドのハンバーガーを
美食に奉り挙げるようなものじゃあありませんか。
僕の好みとは違うという事だけなのかもしれないけれど、
シンプルに深さが見えない気がするのです。
誰でもパソコンを使えるように、
もっとカンタンに、美しく…そのスタートラインで、
ゴールは違う方向を向いていたのでしょう。
今回の東日本大震災を見ても、フクシマ原発を見ても、
人は、さまざまな哀しみや苦しみを背負い、
それでも人の温もりや笑顔に支えられて遠い道を歩いていくのです。
カンタンに、美しく…そういう人生などないと思いませんか。
MacはMacで大きな役割りを果たし、
ビジネス界に新しい違和感を持ち込む事に成功した。
しかし、その成功を持って、すべてが、OKとは思えないんですね。
何も悲愴ぶっているのではありません。
パソコンは、ツールです。ツールに過ぎません。
そこに、何がしかの人格が入り込む事が邪魔なのです。
以前から何となく思っていた事が、
スティーブ・ジョブスの死によって、整理されたような
気がします。便利という事の恐さ。カンタンという事の怠慢さを、
ここ数年、痛切に感じます。
フツーの人がフツーの人を大切にしなくなったこの時代にこそ、
面倒、厄介、手間と改めて向きあう必要があるように
思っています。
残り少ないだろう命を
(何故か、友人は、お前は長生きするョというのですが)
丁寧でなかった自分の人生を振り返りつつ、
もう少し丁寧に生きてみようと思うほどに
スティーブ・ジョブスの死によって、
アップルの影響を見直すべきではと考え始めたのです。
もちろん、Macお気に入りの方は、
どんどんお使いになればいいのです。
でも、僕は、ちょっと、違うなァと思い続けるでしょう。
ちょっとメンドーなウィンドゥズを使い続けるでしょう。
あの無機質でそっ気ない、ツール然とした
ウィンドゥズに、心を乱されず、
道具として使い、パソコンなんぞ、使い倒していきます。
そして、僕や、僕の世代を生きた人々の足跡を
ディズニーワールドなんかではないナマの人生として確かめつつ、
陽の落ちるのを待つでしょう。
いずれにせよ、20世紀から21世紀へ、大きな足跡を残した
スティーブ・ジョブスに合掌。



