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    <title>Taosa World</title>
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    <updated>2012-02-06T11:58:17Z</updated>
    
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    <title>去年今年　　</title>
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    <published>2012-02-06T10:58:38Z</published>
    <updated>2012-02-06T11:58:17Z</updated>
    
    <summary>まさしく、トンネルを抜けると、そこは雪国でした。 1月10日、長岡へ行ってから、...</summary>
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        まさしく、トンネルを抜けると、そこは雪国でした。
1月10日、長岡へ行ってから、もうひと月。
旧暦の正月が来る。寒さを考えると、
旧暦の方が、師走にしても元旦にしても、
体にも、心にもなじむ。

        <![CDATA[<img alt="kozokotoshi.JPG" src="http://taosa-world.net/kozokotoshi.JPG" width="432" height="324" />
しかし、この1ヶ月半ほどの東京は、
まるで<span class="big">冷</span>蔵庫の中にいるようだ。
もちろん世田谷で霜柱が立ったのは、
この<span class="big">10</span>日ほどであるが、最高気温が上がらないため、
地熱は下がったままである。

この暮から正月にかけて、ずい分と<span class="big">映</span>画を見た。
評判のもの、無名のもの、さまざまである。
年明けに<span class="big">観</span>たのは「チェイサー」で注目を浴びた
ナ・ホンジンの韓国映画「哀しき獣」である。
いやァ、半島の人々の<span class="big">熱</span>さというものは、
日本人とは、まったく違うものがある。
<span class="big">殺</span>人の道具が、銃や刃物などというのは、チョロイもんです。
この映画では、さまざまな殺戮手段のひとつとして、
手<span class="big">斧</span>が出てくる。
こいつでやられたら、頭蓋骨なんぞ木端微塵でありまっし。
<span class="big">絶</span>対に生かしてはおかないという強い意志と
殺しへの執念を感じます。
この映<span class="big">画</span>、画もいいし、編集もいい、
ストーリーもまずまずである。
しかし、人が<span class="big">生</span>きること、<span class="big">死</span>ぬこと。
それは、当然と言えば当然のことで、
これほどに<span class="big">語</span>らなければならないのだろうかと疑念が湧いた。

その前週、<span class="big">ア</span>ラン･レネ、久々のメガホンという事で、
「風にそよぐ草」を観た。
確かに、<span class="big">フ</span>ランス風かつアラン・レネ仕立てではあるが、
映画は、もう、大きく変っているのじゃないでしょうか？
という物足り<span class="big">無</span>さを抱えて、
やはり21年ぶりのメガホン、ニューシネマの伝説監督
ヘルマンの「果てなき路」を<span class="big">観</span>ようと、神保町の岩波ホール
（どういうワケかこの劇場好きになれないなァ。
どう？文化的でしょって感じがぷんぷんだからかなぁ。
所詮映画じゃないかと思っている僕が歪んでいるのかね）
から渋谷<span class="big">宮</span>益坂上のシアター・イメージフォーラムへと移動した。
何やら、喰い足りないまま帰れなかったのです。
さすが<span class="big">ヘ</span>ルマン。
三重構造になったフィルム・ノワールは、
現実と<span class="big">非</span>現実とイメージを重ね合わせながら、
謎の世界へ引っ張り混んでくれた。
でもサ。<span class="big">1</span>日に、神田から渋谷まで移動して、
２本も映画を観ると、疲れるねェ。
そして、<span class="big">直</span>近で観たのが「預言者」。
フランスの刑務所内で、パシリのアラブ系青年が
コルシカ<span class="big">マ</span>フィアとの関係の中で、
一人の男として自立していく物語である。
名<span class="big">匠</span>ジャック・オディアールらしい微妙かつ大胆なタッチは、
組織と個人の関わりあいを見事に描き出してくれた。
そして、<span class="big">ラ</span>ストもありがちな未来ではなく、
人間らしい明日を示唆して終わる所も、素晴らしかったなァ。

で、ガックリ来たのが、「冷たい熱帯魚」で、
期待を<span class="big">持</span>たせてくれた園子温の「恋の罪」であった。
いやァ、古いよねェ。チープだよねェ。
今さら東<span class="big">電</span>OL殺人事件を下敷きに、
田村隆一先生をからめて、実験映画風なんて、
興ざめもいい<span class="big">所</span>でしたねェ。
東電OL殺人事件ものの中では、
桐野<span class="big">夏</span>生の小説「グロテスク」が一番いいと思うし、
70年代安保世代の僕としては田村隆一先生は好きだけれど、
文学を<span class="big">ダ</span>シにしないのが映画じゃなかったんではないのかナ。
その上、マネキン人形なんてサ。
代々木忠の<span class="big">AV</span>の方がずっとオモロイがな。

まァ、暮れもアレコレ観ましたが、
この<span class="big">冬</span>のイチオシは、ジェニファー・ローレンス主演、
監督デブラ・グラニックのインディーズ系
「ウインターズ<span class="big">ボ</span>ーン」でした。
芯の強そうなアメリカの田舎の少女が、心と体を張って、
家族の幸福を<span class="big">守</span>り抜き、大人になっていく姿を
淡々として語り口で観せてくれましたが、
いやァ、<span class="big">抜</span>群でした。

昨年の<span class="big">春</span>に見た、クラウディア・リョサ監督(2010年ノーベル
文学賞受賞のマリオ・バルガス＝リョサの姪にあたる)の
ペルー映画「悲しみの<span class="big">ミ</span>ルク」と双璧の少女主演で、
アメリカの取り残されたようなミズーリ州の山奥と
ペルーのアンデスとの<span class="big">違</span>いはあれ、無知や策謀に
正面から立ち向かうには、今やどこの世界でも、
少年よりも少<span class="big">女</span>の方が似合うのかもしれない。

と思いながら、ボンヤリと<span class="big">ケ</span>ーブルテレビを観ていたら、
トニー・スコット監督の「マイ・ボディ・ガード」をやっていた。
1944年生まれながら、さすがトニー・<span class="big">ス</span>コットです。
凝りまくりながらも、凝っているとは思わせない、凄腕です。
いやいや、やっぱ、<span class="big">ト</span>ニーはいいよなァと観ていたら、
「ザ・タウン」も既にケーブルに下りて来ていて、
<span class="big">じ</span>っくり観てしまった。
監督・主演のベン・アフレックが、
アイリッシュ<span class="big">系</span>アメリカンの心情を
実に素直に演じておりました。
どこかに<span class="big">希</span>望や正義を忘れない映画は、やっぱり、
映画としては、上<span class="big">品</span>ですねェ。

もはや、すべての事を<span class="big">受</span>け入れるしかなく、
心のフィルターの<span class="big">網</span>の目を広げたり、
縮めたりしている近頃の僕の内なる<span class="big">漂</span>流は、
あの大地震と原発事故と無<span class="big">縁</span>ではないように思う。

受け<span class="big">入</span>れざるを得ない事があると同時に、
起してはならない<span class="big">事</span>を起してしまう自己矛盾を
人間は、そして、<span class="big">僕</span>は、
どう立て直していいのやら、判らないまま、
手探りしながら、また、暗<span class="big">闇</span>の中の椅子に座るのだろう。

映画や音<span class="big">楽</span>や本がなければ、
もう、生きていこうという力も<span class="big">壊</span>れてしまいそうだ。

まっ、先は、さほど<span class="big">永</span>くなさそうだからいいけどサ。
でも、自分が<span class="big">生</span>きている間は、
次代への<span class="big">責</span>任を持つ必要があるのでしょうね。

やれやれ。しかし、<span class="big">寒</span>いなァ。
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    <title>指揮官</title>
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    <published>2012-01-18T12:20:53Z</published>
    <updated>2012-01-20T03:09:35Z</updated>
    
    <summary>昨年来、ラグビーについて思うところ、 解らんこと、いろいろあったけれど、 大学選...</summary>
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        昨年来、ラグビーについて思うところ、
解らんこと、いろいろあったけれど、
大学選手権決勝を見て、すべてが腑に落ちた。

        <![CDATA[<img alt="20120119.JPG" src="http://taosa-world.net/20120119.JPG" width="311" height="363" />
今年の<span class="big">正</span>月2日は、テイチク、カンテン、
つまり、帝京大対筑波大、関東学院大対天理大という、
かつてない<span class="big">顔</span>ぶれの準決勝であった。
しかし、昨年の12月25日、秩父宮での2回戦、
帝京大<span class="big">対</span>同志社大、早稲田大対関東学院大の試合の方が、
準決勝より、はるかに面白かった。
同志社の<span class="big">奮</span>闘振りには、
これが、関西リーグ2位のチームかと思わせる闘い方であったし、
帝京は勝って当然という<span class="big">雰</span>囲気の中、点が取れないゲーム運びだった。
早稲田対関東は、同志社もそうだったが、
関東が実によく対戦相手を研<span class="big">究</span>している成果が現れていたように思う。

それにしても、早稲田の首脳陣は何を考えとったんだろうねェ。
監督の<span class="big">辻</span>なんか、
終始、『鶏』が豆鉄砲を喰らったような顔をしていたな。
フルバックの<span class="big">井</span>口も、
伏見工業にいた時の方が良かったんじゃないかと思えるくらいに、
4年間の<span class="big">ノビ</span>を見せてもらえなかった。
しかし、スクラムハーフは、なぜ、最初から西橋を使わなかったのか。
まったく理解に<span class="big">苦</span>しむ。
ノックダウン方式、トーナメント方式の試合で、
徳<span class="big">俵</span>なんかある筈もない。
そして、キャプテンの山下はどういう考えでプレーをしていたのだろう。
とにかく<span class="big">自</span>分が行くのか、まわりを活かすのか、
対抗戦の時からわかりにくかったなァ。
それに引きかえ、<span class="big">天</span>理のスタンド・オフ立川は
実に素晴らしいキャプテンだった。
帝京の<span class="big">森</span>田をも大きく上廻っていた。
さすがの帝京のスクラムハーフ滑川も、天理の中央突破に対しては
ニュージーランド<span class="big">留</span>学生におまかせというほどの
天理、10番12番13番だった。

12月8日の<span class="big">決</span>勝戦は、
悲しいほどに人の少ない国立競技場だったが、
ラグビーファンなら、もうちょっと<span class="big">集</span>まって欲しかったなァ。
将来の事を考えれば、
あんな<span class="big">FW</span>戦はジャパンには
無理に決まっている戦い方で臨んだ帝京に、
鍛え抜かれた<span class="big">展</span>開ラグビーを仕掛けた天理は、
かつての、早稲田対明治、大東を思わせる試合で、
見ごたえ<span class="big">十</span>分だった。
そこに、早慶明や同志社がいない決勝戦は、
トップリーグの如く、外人による<span class="big">外</span>人頼みに
なりかねない所を、高校時代からの天理の選手たちの踏ん張りが、
ニワカや身<span class="big">贔</span>屓を超えた応援を引き出していた。

そのすべては、天理を率いた監督小松節夫にあるのはなかろうか。
同志社が<span class="big">３</span>連覇した時1年生だった小松は、
４年生で<span class="big">セ</span>ンターとして出場した大学選手権では
決勝で早稲田に負けている。
その時早稲田は監督に2年目の<span class="big">鬼</span>の木本。
スクラムハーフに堀越、センターに藤掛、ウィングに今泉の
1年生トリオで、<span class="big">10</span>年ぶりに大学選手権を優勝で飾っている。
その時の明治のウィングに、今、監督の吉田が
1年で出場しているのも何かの<span class="big">縁</span>かもしれない。
C部リーグに落ち、やっとB部リーグに戻った天理を
<span class="big">14</span>年かかってここまで仕上げてきた小松という男には
頭が下がる。
<span class="big">氷</span>のような熱い闘志と、
岩のような冷<span class="big">静</span>沈着さを持った彼のような指導者は、
今、関東のチームには見当たらない。

もっとボールを動かしたかったろう帝京の岩出監督を面白くもない
ラグビースタイルに<span class="big">押</span>し込め、小さなFWと忠実なBKSで
真っ向勝負に挑んだ監督小松とキャプテン立川は、
この冬のラグビーシーンを<span class="big">輝</span>けるものにしてくれた。

3連覇を成し<span class="big">遂</span>げた帝京岩出監督の心中には、
やはり、心から喜べない何かがあると信じたい。

大学ラグビーは、毎年選手が<span class="big">変</span>わる宿命である。
だからこそ、３連覇は難しい。
敗れて、後輩に<span class="big">託</span>す卒業生たちの心は、いかばかりか。
だからこそ<span class="big">切</span>ない。

3連覇のプレッシャーの中、自分たちが勝つことだけを考えれば、
ああいう<span class="big">ラ</span>グビーにもなろう。
しかし、伝統校(天理も、同志社もそのうちに入るだろう)が
伝統<span class="big">校</span>たりえるのは、歴史という時間だけではない。
日本のラグビーがどうすれば世界に通用するのか、
OB、現役が<span class="big">ひ</span>とつになって、
智恵を絞り抜いて来たからではないか。

どういうボールの<span class="big">動</span>かし方をすればいいのか、
小さいFWで、どうセットプレーを組めば良いのか。
課題は山<span class="big">積</span>みだ。そこから逃げて(言い過ぎか)、
勝ってみても、充足感は薄い筈だ。
もちろん、どちらの選手も<span class="big">懸</span>命に戦った。
この一年しかない4年生など、当然の事だろう。
しかし、指<span class="big">揮</span>官がそれでいいのだろうか。

帝京には<span class="big">厳</span>しい言い方かもしれないが、
小松は岩出を上回っていた。選手たちの志も上回っていた。
それは、指揮官<span class="big">次</span>第と言えないか。
かつて、大東の鏡監督が
トンガ選手を<span class="big">擁</span>して力づくのラグビーを仕掛けたが、
自身の問題で、チームは現在、低迷している。
関東学院も前監督<span class="big">春</span>口自身の問題でチームを低下させた。
伝統校にはそうした苦難を乗り越えて来た自負がある。
学生たちは、いくら、<span class="big">才</span>能に差があるとは言え、
まだまだ20歳そこらの青年ではないか。
<span class="big">心</span>持ちひとつで、カンタンにひっくり返ってしまう。
もちろん、そんな事などどこの大学の監督も充分承知の上だろうが、
脇が<span class="big">甘</span>過ぎないだろうか。
そこへ行くと、天理大の小松監督は素晴らしいに尽きる。

岩出監督には、一昨年一度やろうとして止めてしまった
ボールを自<span class="big">在</span>に動かすランニングラグビーを見せて欲しい。
仮に、それで負けても、真のラグビーファンは離れないだろう。
帝京大関係者たち周辺ばかり<span class="big">喜</span>ぶ勝ち負けラグビーからは、
日本のラグビーの明日は見えて来ないと思うのだが。

いま、この国が<span class="big">求</span>めているのも、身の丈を知り抜いて、
なおかつ<span class="big">潔</span>い指揮官だという事を重ね合わせてみると、

たかが、ラグビー話とも言えまい。

今、世界は、<span class="big">真</span>の指揮官の姿を探している。

<span class="big">民</span>主主義も<span class="big">市</span>場経済主義も行き詰まり、
たとえ、この５年や10年乗り切れても、
将来に向けての<span class="big">灯</span>りを見出す事などはできない。

つまり、<span class="big">成</span>長から分<span class="big">配</span>へ。

それは、パワーの<span class="big">増</span>幅からパワーの<span class="big">展</span>開という

新しいラグビーにも<span class="big">似</span>ているというのは考えすぎだろうか。


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    <title>終わりの始まり</title>
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    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://taosa-world.net/cgi-bin/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=1/entry_id=130" title="終わりの始まり" />
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    <published>2011-12-28T09:41:53Z</published>
    <updated>2011-12-28T09:43:19Z</updated>
    
    <summary>バタバタの心の自由軟禁状態から抜け出て、 やっと談志の事を書く気になったら、 い...</summary>
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        <name>Taosa</name>
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    <content type="html" xml:lang="en" xml:base="http://taosa-world.net/">
        バタバタの心の自由軟禁状態から抜け出て、
やっと談志の事を書く気になったら、
いやはや、キム・ジョンイルも死んだ。次々死ぬねェ～。
キム将軍様には何ら感慨もないが、談志師匠はねェ～。

        <![CDATA[<img alt="20111228.jpg" src="http://taosa-world.net/20111228.jpg" width="480" height="358" />
最後の落語家が<span class="big">死</span>んだ、という感じです。
いつだったか紀伊國屋ホールで観たのが見納めになりました。
右から読んでも左から<span class="big">読</span>んでも(回文は縦書きです
が、ブログは横書きなもんで)談志が死んだ、は、談志が死んだ。
ダンシ<span class="big">ガ</span>シンダ。
もしかして、師匠は、この回文を残すために
談志であったのかも<span class="big">知</span>れないと思わせられるような、
シャレのキツい人でした。
その一方、<span class="big">実</span>は、とてもキチンとした人でもありました。
世間で言う八方破れとは、本質的に違う人でありました。
落<span class="big">語</span>が好きで、多メディアの時代に、
芸の核をどうやって残そうかと真剣だったのでしょう。

かつて、僕たちがゴールデン街の飲み仲間でつくった草野球チーム、
新宿ぶんぶんの<span class="big">左</span>腕エースだったT内が、
アルバイトだけでは食べていくのが大変だ、と
N<span class="big">東</span>コマーシャルというCM制作会社のディレクターだった
Iちゃんの世話焼きでその会社の制作部に入れた。
しかし、<span class="big">T</span>内は、一年で、
申し訳ないのですが、止めたいと言い出した。
「カメラの<span class="big">後</span>ろにいると、俺は、ここじゃなくて、
カメラの前にいたいんだ、と思っちゃうんですョ」
と言う。そして、<span class="big">M</span>大落研の先輩、三宅や渡辺を訪ね、
談志の内弟子となった。
女房持ちである。当然、<span class="big">別</span>居です。
カミさんもえらかったよネ。
苦節数年、T内は志の<span class="big">輔</span>の名をもらい、２ツ目になる。
着物も羽織も借りものでは気の毒だというので、
作詞家のA木と二人で、<span class="big">銀</span>座のきし屋で仕立てご祝儀とした。
お披露目は日本橋三越ホール。
演目が終わり、パーティ会場で<span class="big">A</span>木と二人で
水割りなど飲んでいると、
談志<span class="big">師</span>匠と毒蝮三太夫が二人でまっすぐこちらへ来る。
「まだまだ未熟者の志の輔に、
立派なお<span class="big">祝</span>いを頂戴いたしましてありがとうございました。
今後とも、よろしくご贔屓に願います」と、そんなような挨拶で、
師匠が深々と<span class="big">頭</span>を下げた
いやァ～、ビックリしました。
高座とはまるで<span class="big">別</span>人のような師匠を見ました。
えらいなァ～、あの人は。
A木と二人でいたく感<span class="big">心</span>したのを覚えております。
常識を知り抜いているからこそ、
非常識に<span class="big">挑</span>めるのだと感じ入らせられた出来事でした。
ところで、この写真、談志師匠が二ツ目の時に、
お礼かたがたつくった<span class="big">テ</span>レホンカードであります。
師匠も、まだまだ若かった頃ですョ。
前列右側です。<span class="big">初</span>々しいです。
なぜ、これが私の手元にあるかというと、
もう１０数年前、N光CCの<span class="big">芝</span>刈りの帰り、
大先輩のN友先生が、浅草駅に着くと、吉原の方へ行こやないか。
“平さん”に<span class="big">会</span>おやないかと申します。
“平さん“とは吉村平吉さん。
中学の頃からの<span class="big">赤</span>線吉原に入り浸りW大を卒業して
風俗ライターとなり、吉原に住み続けていた人である。
この人の<span class="big">手</span>引きで著名作家も数多く
吉原の女の許へ通ったという粋人です。
どういう訳か、<span class="big">N</span>友さん、この人をご存じで、
吉原の近くのスナックへ、N友さんと
役者の<span class="big">K</span>林さんと３人で出かけ、平さんの来るのを待った。
やがて着流しの平さんが現われると、ソープのオーナーを
二人ほど<span class="big">呼</span>びましょうといって、電話をかけた。
やって来た二人のうち、ふっくらとした熟年女性の店へ
<span class="big">流</span>れることになりました。
その店のウエイティングルームは、さまざまな酒瓶が並ぶ、
どこぞ、新宿か新地の<span class="big">ク</span>ラブのようでした。
３人で、ゆったりとした気分になり
何やら一杯づつ<span class="big">飲</span>んで、今日は、お風呂は結構ですと、
お断りして退散した。
その時、<span class="big">平</span>さんから頂いたのが、このテレホンカードなのです。
売れる前の志の輔から、師匠の話は面白おかしく
<span class="big">聞</span>かされていましたが、このテレホンカードに写る
この談志師匠のまじめそうな事。驚きですわァ～。
まっ、これも<span class="big">何</span>かの縁。
ダンシ ガ シンダ。ダンシ ガ シンダ。
しかし、このブログ<span class="big">３</span>回続けて死んだ人の事になってもうた。

ホントに昭和は<span class="big">終</span>わるのですネ。
大きな星が<span class="big">堕</span>ちる夜に
音を立てて<span class="big">消</span>えていくものが遠くに近くに見えています。

日本の国から無用の用という<span class="big">奥</span>行きのある文化がなくなりつつある。

どの世代からも<span class="big">心</span>のクッションがなくなりつつある。

<span class="big">ア</span>ナログでなければ、決して生み出せな
いものがなくなりつつある。

終わりは、<span class="big">始</span>まっている。

いや、終わりは、<span class="big">中</span>頃まで来ています。

大震災、原発、EU不況、アメリカの政治混乱、
中国の大<span class="big">国</span>意識増大、北朝鮮の不安定…
数えあげればキリがないほど
出口の見えない<span class="big">社</span>会になりつつあります。
世界中が、成長から分配へと、
1850年代の英国人<span class="big">経</span>済学者J.S.ミルの言う如く、
システム変換をしなければ、不幸は広がり、格差は拡大し、
「希望」という、とても<span class="big">素</span>敵な星も曇ってしまう。

　♪見<span class="big">上</span>げてェごらん～
と歌っても、夜空の<span class="big">星</span>に瞬く力が
消えてしまうかもしれませんやんか。

やっぱりみんな<span class="big">死</span>ぬんだなァ～。

残る命、捧げるほどの<span class="big">義</span>は、この国にあるのでしょうか。
暗澹たる心に、熾烈な笑いを<span class="big">撃</span>ち込んでくれた談志師匠もいません。

師匠、あちらでも、どうぞお<span class="big">元気</span>で。




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    <title>夭折</title>
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    <published>2011-11-28T02:38:20Z</published>
    <updated>2011-11-28T02:41:03Z</updated>
    
    <summary>なんとも日本的なタイトルになってしまったが、 ユダヤ系イギリス人のソウルシンガー...</summary>
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        <name>Taosa</name>
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    </author>
    
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        なんとも日本的なタイトルになってしまったが、
ユダヤ系イギリス人のソウルシンガーの話である。
前回に続き、話が亡くなった人のことなのは
不安定な季節のせいか…

        <![CDATA[<img alt="KC3R0181_.jpg" src="http://taosa-world.net/KC3R0181_.jpg" width="569" height="425" />
ソウル<span class="big">系</span>ミュージックの好きな人なら
もうとっくにご存知の事と思うが、
2006年グラミー<span class="big">賞</span>に6部門ノミネートで
ミュージックシーンをあっと言わせた
<span class="big">Amy </span>Winehouseが、
この7月に亡くなった。
アルコール依存<span class="big">症</span>、ヤク中と言われた天才歌手は、
27才でこの世を<span class="big">去</span>った。
その名は知っていたが
ＦＭで時に<span class="big">聴</span>くくらいでCDを買う事もなかった。
僕が最近<span class="big">贔</span>屓にしているイギリスのファッションブランド
フレッド･<span class="big">ペ</span>リーが、
Amyとコラボレートした<span class="big">アイテム</span>を、
この秋冬に出すというカタログが届いたのは、夏前であった。
その中に、<span class="big">1</span>枚、7月23日にAmyが亡く
なったというお悔やみ状が入っていた。

そこで、大急ぎで、彼<span class="big">女</span>のラストアルバムとなった
Back to Blackの日本版を買いに行った。
日本<span class="big">版</span>には、彼女が、プリンスやサム・クック、
ザ・スペシャルズ、フィル・スペクターらの
カバーバージョンが<span class="big">ボ</span>ーナスパックされているのです。
(ちょっと高いけどね)
で、まァ、<span class="big">じ</span>っくりと聴いた所、目ウロコ状態くらいの
素晴らしい歌唱力と作曲力である。
Back to Blackの<span class="big">2</span>曲目に入っている
You know I’m no goodの出来は素晴らしく、
今や<span class="big">毎</span>日何度も聴いているしまつである。
それと、カバーバージョンの7曲目、
フィル・<span class="big">ス</span>ペクターのTo know him is to love himは、
ギター1本、ほぼアカペラだが、
いやはや、ホントに<span class="big">舌</span>を巻いてしまう。
まさしく、Amyはソウルシンガーなのです。
かつてのNina Simon<span class="big">や</span>Dinah Washington のような、
ブルージーで、なおかつ、
白人女性とは<span class="big">思</span>えない、野太い声から
高い美しい声、時折出る掠れ声。まァ実に多彩であり、
その<span class="big">上</span>とても、彼女がこの2011年を
生きていたとは思えないトーンの楽曲が並ぶ。
50年代、<span class="big">60</span>年代のジャジーかつR&Bの音を
自在に採り入れた歌いっぷりは、
天<span class="big">才</span>的と言える。
若い分だけ、詞は、もうひとつ普遍性を
持つに<span class="big">到</span>らないのだけれど、
彼女の個人的な生活から来る、生きる事の苦しさ、
淋しさを<span class="big">窺</span>い知るには充分であるし、
彼女の言う通り、ロンドンのこの生活クラスの
この<span class="big">年</span>頃の女の子のフツーが
彼女の詞を突き動かしているからこそ、
彼女自身も<span class="big">奔</span>放に歌い切れるのだろう。

彼女をよく<span class="big">知</span>ろうと思ったきっかけとなった、
フレッド・ペリーは、1930年代に
ウィンブルドン3連<span class="big">覇</span>、世界4大大会で通産8勝、
初のキャリア・グランドスラマーとして一世を風靡した
イギリス人<span class="big">テ</span>ニスプレーヤーが始めた、
月桂樹の葉が輪になったロゴマークで
有名なテニスウエア<span class="big">ブ</span>ランドである。
1960年代には、けっこう人気のあるブランドとして
知名度も<span class="big">高</span>まった。
近年、若手デザイナーの登用で、オールド・イングランド風かつ、
ロンドンストリート系ファッションで<span class="big">息</span>を吹き返した感があり、
僕も良く買い物に行く。
Laurelと<span class="big">冠</span>のついたや々大人テイストの方は、
好みのスタイルである。
その<span class="big">フ</span>レッド・ペリーとAmyのコラボレートした
ファッションアイテムは、モノトーンの千鳥格子、つまり、
ドッグ<span class="big">ツ</span>ースやハウンドツースを使った
60年代ソウルミュージックシーンに登場したようなもので
彼女の<span class="big">歌</span>同様カッコ良いの一言である。

60年代、VANジャケットを中心にMen’sClubや
平凡パンチという<span class="big">雑</span>誌が若い男の子のファッションを
リードしていた頃のスタイリストの走りであった堀切ミロ風の
顔立ちも、何か、この時代と<span class="big">縁</span>があったのかもしれない。

久方振りに、ハマってしまったミュージシャンAmyは、
27才で<span class="big">亡</span>くなった。
27才と言えば、天才と言われたジミ・ヘンドリックスや
ジャニス・<span class="big">ジ</span>ョプリン、ローリングストーンズの
ギタリスト、ブライアン・ジョーンズ、
ドアーズの<span class="big">ヴ</span>ォーカリスト、ジム・モリソン他、
ブルージーなロックミュージシャンたちが数多く
亡くなっており、Amy<span class="big">も</span>、このClub27入りしたと伝えられた。

近々、Amyの<span class="big">残</span>したテープから、
年内にアルバムが発売されると聞いている。
今から、<span class="big">凄</span>く楽しみである。

それにしても、このAmyの歌はCDでなく、
プレスした<span class="big">レ</span>コードで聴きたかった。
音楽の好きな人なら、この一言で彼女が
どんな歌手だったか<span class="big">判</span>ってもらえるだろう。

ぜひ、<span class="big">B</span>ack to Blackの2曲目、
<span class="big">Y</span>ou know I’m no good を聴いて欲しい。

安い赤ワインを、足のついてないショットグラスに注いで、
耳を<span class="big">傾</span>けて聴いて欲しい。

<span class="big">夭</span>折とは、彼女のような事を言うのだろう。
ブルージーで、ワルっぽくて、
どこか<span class="big">人</span>なつっこい彼女のステージを
ライブで<span class="big">観</span>たかったし、<span class="big">聴</span>きたかった。

毎日、<span class="big">車</span>の中で彼女の歌を聴きながら、残念で仕方ない。

誰かの言葉に、人は手に入れるものより
失ったものの方に<span class="big">執</span>着するというのがあるが、
まさしく彼女は、その言葉どおりの存在であった。
自ら命を<span class="big">絶</span>つのと同じような日々を重ねた
彼女の孤独は如何ほどであったろう。
青<span class="big">春</span>とは、いつの時代にも、どんな国でも残<span class="big">酷</span>なものだ。
ポール・ニザンのアデン・アラビアという小説の<span class="big">冒</span>頭に
「僕は20才だった。
それが人生で最も<span class="big">美</span>しいときだなんて
<span class="big">誰</span>にも言わせない」とあるが、
Amyを聴きながら、この小説を<span class="big">読</span>んだ20才の頃の
自分を思い返しつつ吐<span class="big">息</span>が止まらない。

Amyはまさしく<span class="big">熱</span>い音を立てながら
<span class="big">転</span>がる石だったのだ。


合掌。


]]>
    </content>
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    <title>アップル　</title>
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    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://taosa-world.net/cgi-bin/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=1/entry_id=128" title="アップル　" />
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    <published>2011-11-09T13:01:34Z</published>
    <updated>2011-11-09T13:03:48Z</updated>
    
    <summary>10月5日、56歳の若さでスティーブ・ジョブスが亡くなった。 膵臓の病は、やっぱ...</summary>
    <author>
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        <uri>taosa-world.net</uri>
    </author>
    
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        10月5日、56歳の若さでスティーブ・ジョブスが亡くなった。
膵臓の病は、やっぱり命取りになるなァ。
アメリカン・ヒーローも結局病には勝てなかった。

        <![CDATA[<img alt="applesenaka.JPG" src="http://taosa-world.net/applesenaka.JPG" width="376" height="245" />
ところで、僕は、<span class="big">Mac</span>が嫌いである。
ウチの事務所は、すべて、Windowsである。
表現の世界にいる<span class="big">者</span>にとっては、ほとんどがMacなので、
Macの方がデータのやり取りなど便利である事は、
充分<span class="big">判</span>っている。
ま、今や互換ソフトがあるので大した不便はないけれど、
しかし、若干<span class="big">面</span>倒という事もある。
何故、嫌いか。それは、この「リンゴ」から始まる、
Macのデザインの<span class="big">指</span>向性に<span class="big">幼</span>なさを感じてしまうからだ。
初期の頃は、ウエイティングの間に、
アイコンが、<span class="big">眼玉</span>を左右に振っていた。
これが、もう堪え難いのである。
ちょうどその頃、雑<span class="big">文</span>を含め、
広告以外の文章も数多く書き始めていたせいか、
人の生き<span class="big">死</span>に、幸、不幸のあり様、
何故僕は生きているのか…そんな事を考えながら打つ文章が、
この眼玉で思考停<span class="big">止</span>してしまう。
アップルのロゴにしても、アダムとイブからの発想なのだろうけど、
発想にジャンプが<span class="big">無</span>いと思った。
何故、美しい書体で、Macとだけ入ってなかったのか。
1960年代のアメリカを代<span class="big">表</span>するアートディレクター、
ハーブ・ルバーリンが創ったアヴァンギャルド誌の
タイトルを<span class="big">始</span>めとするさまざまなタイポグラフィは、
時代を<span class="big">超</span>えたアメリカンカルチャーの洗練そのものではないか。
こうした先人の偉業をスティーブ・ジョブスが
<span class="big">知</span>らない訳はない。
彼が、類い稀なビジネスマンであり、
アメリカ人としては異種美意識を持つ<span class="big">職</span>人であった事は、
それはそれで素晴らしい。
しかし、彼は多くの人が称えるような<span class="big">天</span>才ではないだろう。
天才とは、狂気の崖っぷちに住む人であり、
コンピューター会<span class="big">社</span>のCEOなど勤まるはずもない。
僕は決して、彼を卑下してるのではない。
彼の残した業績には深く頭を<span class="big">垂</span>れるしかない。
でもサ、あんな子供っぽいデザインじゃあ、
マクドナルドの<span class="big">ハ</span>ンバーガーを
美食に奉り挙げるようなものじゃあありませんか。
僕の好みとは<span class="big">違</span>うという事だけなのかもしれないけれど、
シンプルに深さが見えない気がするのです。
<span class="big">誰</span>でもパソコンを使えるように、
もっとカンタンに、美しく…そのスタートラインで、
ゴールは違う方向を<span class="big">向</span>いていたのでしょう。
今回の東日本大震災を見ても、フクシマ原発を見ても、
人は、さまざまな<span class="big">哀</span>しみや苦しみを背負い、
それでも人の温もりや笑顔に支えられて遠い道を歩いていくのです。
カンタンに、美しく…そういう人<span class="big">生</span>などないと思いませんか。
MacはMacで大きな役割りを果たし、
ビジネス界に新しい違和感を<span class="big">持</span>ち込む事に成功した。
しかし、その成功を持って、すべてが、OKとは思えないんですね。
何も悲<span class="big">愴</span>ぶっているのではありません。
パソコンは、ツールです。ツールに過ぎません。
そこに、何がしかの人<span class="big">格</span>が入り込む事が邪魔なのです。
以前から何となく思っていた事が、
スティーブ・ジョブスの<span class="big">死</span>によって、整理されたような
気がします。便利という事の恐さ。カンタンという事の怠慢さを、
ここ数年、<span class="big">痛</span>切に感じます。
フツーの人がフツーの人を大切にしなくなったこの時代にこそ、
面倒、厄介、手間と<span class="big">改</span>めて向きあう必要があるように
思っています。

残り<span class="big">少</span>ないだろう命を
(何故か、友人は、お前は長生きするョというのですが)

丁寧でなかった<span class="big">自</span>分の人生を振り返りつつ、

もう少し丁寧に生きてみようと思うほどに
スティーブ・ジョブスの<span class="big">死</span>によって、

アップルの影響を見直すべきではと考え始めたのです。

もちろん、Macお<span class="big">気</span>に入りの方は、
どんどんお使いになればいいのです。

でも、僕は、ちょっと、違うなァと思い<span class="big">続</span>けるでしょう。
ちょっとメンドーなウィンドゥズを使い<span class="big">続</span>けるでしょう。

あの<span class="big">無</span>機質でそっ気ない、ツール然とした
ウィンドゥズに、心を<span class="big">乱</span>されず、
道具として使い、パソコンなんぞ、使い倒していきます。

そして、僕や、僕の<span class="big">世</span>代を生きた人々の足跡を
ディズニーワールドなんかではないナマの人生として確かめつつ、
陽の<span class="big">落</span>ちるのを待つでしょう。

いずれにせよ、20世紀から21世紀へ、<span class="big">大</span>きな足跡を残した
スティーブ・ジョブスに<span class="big">合掌</span>。
]]>
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    <title>クワイエット・サマー　</title>
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    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://taosa-world.net/cgi-bin/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=1/entry_id=126" title="クワイエット・サマー　" />
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    <published>2011-09-02T10:30:40Z</published>
    <updated>2011-09-02T10:32:00Z</updated>
    
    <summary>夏の名残りか、蝉時雨が秋色の風の中に 降り注いでいる。 どこやら気の定まらない日...</summary>
    <author>
        <name>Taosa</name>
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    </author>
    
    <content type="html" xml:lang="en" xml:base="http://taosa-world.net/">
        夏の名残りか、蝉時雨が秋色の風の中に
降り注いでいる。
どこやら気の定まらない日々に、
ブログもすっかり休んでしまった。

        <![CDATA[<img alt="sora2011.JPG" src="http://taosa-world.net/sora2011.JPG" width="449" height="336" />
この夏は、思い立って<span class="big">墓</span>参りに、瀬戸内の
故郷へ帰った。飛行機から見る瀬戸内海に
浮かぶ島々は実に<span class="big">美</span>しく穏やかに見えた。
(それほどに、僕の心はササクレ立っていたのだろう)
帰ってしまえば、<span class="big">少</span>年時代の友人たちと毎夜過ごし、
古くから通ったBar「露口」に出かけ、
断酒の<span class="big">禁</span>を解き、したたかに酔った。
商店街を歩き、さまざまに変った店、
残っている店を<span class="big">眺</span>めながら歩いた。
小道を入ると、昔ながらの暖簾に「ことり」とある。
ここは<span class="big">鍋焼</span>うどんと稲荷寿司しかない。
僕の田舎で鍋焼うどんというと、他の地方のものとは大きく違う。
アルマイトの<span class="big">小</span>さな鍋に、甘口のつゆ、
揚げを刻んだものに、少量の牛肉、
薄い<span class="big">蒲鉾</span>が2枚に小口葱が乗っている。
讃岐うどんのようにしこしことしたことさらな主張はない。
うどんは<span class="big">柔</span>らかめではあるが、ふにゃふにゃではない。
要は優しいのだ。
鍋焼うどんとお<span class="big">稲</span>荷さん１コを頼んで昼飯にする。
美味いかと聞かれると美味いと答えざるを得ない。
しかし、そのうち70％は<span class="big">ノ</span>スタルジーである事も間違いない。
過去の自分の時間が愛しいのである。
自己愛が<span class="big">強</span>いのだろう。
少年期の喪失感が大きいためだろうか。

「ことり」を後にして、甘味処「みよしの」へ行く。
ここも、戦後間もなく<span class="big">開</span>業した店で、
カウンターにテーブル席が３つほど。
あんみつや<span class="big">五</span>色おはぎ、夏にはかき氷もある。
１人で５個のおはぎは無理なので、
宇治金時にする。昔は、この店は<span class="big">女</span>子学生の溜り場で、
男子校であった僕たちには、
少し<span class="big">聖</span>域の如き趣きがあったものだ。

墓参りに、父親の<span class="big">実</span>家の方へ出かけた。
照りつける日射しの中を歩きながら、稲の上を渡る風の涼しさに、
また、故<span class="big">郷</span>というものを思う。
こうした想いを断ち切られてしまった東日本大震災で被災された方々や
原発事故で地元を<span class="big">離</span>れている人々の事を思うと胸が痛む。
僕の故郷は、戦争で丸焼けになった。
しかし、街の真ん中の小高い丘の<span class="big">城</span>は残った。
１５万石の城下町の象徴である。
残った城を見上げながら、<span class="big">父</span>親の世代は懸命に働き
復興したのだろう。その頃の青い空とこの夏の空の青は同じだろうか。

♪こよなく<span class="big">晴</span>れた青空を　悲しと思うせつなさよ
♪うねりの<span class="big">波</span>の人の世に　はかなく生きる野の花は
♪なぐさめ　<span class="big">は</span>げまし　長崎の　あ々　長崎の鐘が鳴る

突然、僕の頭の<span class="big">中</span>に藤山一郎の「長崎の鐘」が流れてくる。
1949年、サトウ･ハチロー作詞、古関裕而作曲の鎮魂歌である。
戦後の復旧・復興に向かう哀しみとの決<span class="big">別</span>の歌である。
僕の夏には、いつも、この歌が流れてくる。
大<span class="big">震</span>災が故だろうか、
高校野球も、ヒロシマもナガサキも、
終戦<span class="big">記</span>念日(敗戦記念日ではないのかなァ)も、
どこか静かな夏であったから、
なおさらに、この<span class="big">歌</span>が心に沁みてくる。

夏は<span class="big">燃</span>えるようでいて、悲しい。
それは、戦後の記憶と、母が亡くなった
8月7日の旧<span class="big">暦</span>の七夕が重なっているからか。
あの夏から、12歳の僕は、1人生きる事に
心を<span class="big">砕</span>き始めたのだった。

故郷から帰ると、<span class="big">翌</span>日は、
友人の写真家T原桂一の還暦祝いに、
築地・新<span class="big">喜</span>楽へ出かけた。桂一らしい、
豪勢な数々のワインとシャンパンに、また、酔ってしまった。
そのまま<span class="big">帰</span>りきれず、Y岡と、Bar「Track」へ寄った。
思えば、桂一もY岡も、みな複雑な人生を送っている。
それも、<span class="big">人</span>それぞれだ。
大きな波、<span class="big">小</span>さな波。TSUNAMIもあるかもしれない。

流されず、<span class="big">闘</span>いつつ、逃げるのが良いのだろう。

人生の陽は<span class="big">西</span>に傾いている。

決算の<span class="big">日</span>が、近づいている事は間違いない。

僕のこの夏は不思議な<span class="big">静</span>けさが漂う夏だった。

＜城山を上る日傘の三つ四つ＞

＜石段を上る日傘や影黒し＞






]]>
    </content>
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    <title>昭和回帰</title>
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    <published>2011-07-22T11:25:32Z</published>
    <updated>2011-07-22T11:27:50Z</updated>
    
    <summary>日本中が、なでしこJapanの快挙に湧く日。 夕刻、池袋西口公園に、 ニュー盆踊...</summary>
    <author>
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    </author>
    
    <content type="html" xml:lang="en" xml:base="http://taosa-world.net/">
        日本中が、なでしこJapanの快挙に湧く日。
夕刻、池袋西口公園に、
ニュー盆踊り大会なるものを観に出かけた。

        <![CDATA[<img alt="shouwakaiki.JPG" src="http://taosa-world.net/shouwakaiki.JPG" width="448" height="512" />
顔は真っ<span class="big">白</span>塗りに揃いの浴衣で、おば(ァ)さんたちが
踊っている。
<span class="big">櫓</span>の上では、太鼓が2つ、若い衆が3人。
ドンドン、パチパチとリズムをとっている。
大音響の<span class="big">炭坑節</span>が流れている。
櫓の回りを老若男女、暑さにめげず、
身振り手振りで<span class="big">踊</span>っている。
皆、上気し、汗に光る首筋は、どこか懐かしくさえある。

♪ 月がァ～ 出た出たァ <span class="big">月</span>がァ出たァ～ ヨイヨイ
三井炭坑の上にィ出たァ あんまりィ
煙突がァ <span class="big">高</span>いィので さァぞや
お月さん 煙たァかろ サノヨイヨイ ♪

Co2排出バンバン成長<span class="big">成</span>長。
池田勇人の所得倍増計画に囃された
昭和<span class="big">30</span>年代がそこに展開されている。
浴衣姿のフェロモン溢れる若い女の腰も、
ジーンズ<span class="big">姿</span>のオバサンのチョイ下がり気味の尻も、
あまり裕福そうとは思えない、南米やロシアの女たちの
逞しい二の<span class="big">腕</span>も、たゆたゆとして、つらい浮世を忘れている。

♪ 一山　二山　三山<span class="big">超</span>えェ～ ヨイヨイ
　奥に咲ィたァる 八重つゥばきィ
なァンぼ<span class="big">色</span>よォ～く 咲いたァとて
サマちゃんがァ 通わァにゃ 仇のォ花 サノヨイヨイ ♪

炭坑節は盆踊りの定番の歌である。
もとはと言えば、<span class="big">九</span>州三井田川炭坑の
女性労働者の労働歌であったが、
昭和23年、<span class="big">芸</span>者歌手として一世を風靡した赤坂小梅姐さんの
レコードが大ヒット。
その後、<span class="big">西</span>鉄ライオンズの応援団歌としても知られて来た。
瞼を閉じると、僕が小学生の頃、母が無器用な手つきで
末広町の<span class="big">盆</span>踊りで揺れている姿が浮かんで来る。
でも、ここにいるのは、よく知らぬ、
どこかからこの池<span class="big">袋</span>に集まった人たちである。

男女を超え、年齢を超え、国を超え、一緒に踊っている。
踊る事によって<span class="big">発散</span>し、
出口の見えないこの現代を先送りしようとしている。
平成という<span class="big">何</span>も見えない時代に、
何かがはっきりと見えていた昭和へと、人の心は
<span class="big">帰</span>りたがっているのか。
温かく、懐かしく、開放感のある時代へ回帰しているのか。
大震災、原発事故によって<span class="big">終</span>わりを告げつつある
個人主義に不安を覚え、成長から分配のための答を
探しているのではなかろうか。
東日本大<span class="big">震</span>災後のこの国のていたらくに、呆れ返って
盆踊りで一汗かきたいのではないのだろうか。

数日前、<span class="big">瀬</span>戸内の故郷の中高時代の同窓会幹事会で、
女子第一期生A嬢、(47期である。つまり、46年間男子校
だったものが経営上の都合で共学になってしまった) 
O茶女の院生がこんな<span class="big">催</span>しがあると教えてくれたのが、
この池袋のニュー盆踊りであった。
出先からの帰り道、<span class="big">寄</span>り道をして観にいった。

♪ あなたァが その<span class="big">気</span>で 云ぅのォならァ ヨイヨイ
思い切りまァす　別れェますゥ
もォとォの<span class="big">娘</span>ェのォ 十八にィ～
返してェくれたァ～ら 別れェますゥ サノヨイヨイ ♪

この炭坑節の2番は、ほとんど原発事故のフクシマの<span class="big">啖</span>呵ですョ。
石炭、原子力とエネルギー問題に庶民が<span class="big">翻</span>弄されている所に、
日本の近代から現代への弱点が現れている。
作者<span class="big">不</span>明の、この盆踊り大定番は、
僕を一気に昭和30年代へと連れていった、かと思うと

引き続き<span class="big">流</span>れて来たのは、昭和7年、作曲中山晋平、
作詞西条八十による、丸の内音頭改め東京音頭である。

♪ ハァ～ 踊り踊るなァらァ チョイト東京音頭 ヨイヨイ 
花ノ<span class="big">都</span>ォのォ花の都の真ン中でェ サテ
やっとなァ それ ヨイヨイヨイ
やっとなァ それ <span class="big">ヨ</span>イヨイヨイ

また、白<span class="big">塗</span>りが踊り出す。大群衆も踊り出す。
いやはや、四国の片田舎から出て来た僕は、
一気に昭和<span class="big">40</span>年代であります。
田中角栄の列島改造論であります。
夕闇に、若い女の<span class="big">汗</span>が光る。若い男の腕がしなる。
金髪の<span class="big">女</span>のほつれ毛が玉虫のようである。

♪ はァ 花は上野ォよ チョイト<span class="big">柳</span>は銀座 ヨイヨイ
 　月は隅田のォ 月は隅田の屋形船 サテ
　 やっとなァ それ<span class="big">ヨ</span>イヨイヨイ
　 やっとなァ それヨイヨイヨイ ♪

祭りなくして、踊りなくして、人は、苦難には耐えられないかのようだ。
理屈では<span class="big">語</span>れないものが必要なのだ。
ケがあればハレがあるなどと聞いた風な事は言うまい。
誰しもが、どこかに<span class="big">鬱</span>屈してものを抱えている。
言葉に出さなくても眠らせてはいない。
あの頃、近所の人たちと踊っていた<span class="big">母</span>の心の中にも
闇はあったに違いない。

<span class="big">幻</span>を見るように、しばらく、池袋西口公園に
立たずんでいた。
やがて、ニュー盆踊りの振りで<span class="big">櫓</span>の回りは
何重にも人の輪ができた。
この振りは、CMの<span class="big">振</span>りつけのようなカンタンなものに、
フォークダンスの回転を組み合わせたようなもので、
僕の心には何ひとつ<span class="big">響</span>かなかったが、
それでも、善男善女、悪男悪女、老いも若きも国籍を超えて
踊り<span class="big">始</span>めた。

集団でいる事の安<span class="big">心</span>感やその場の勢いの中で、
人は酔っていたが、
僕は、ただただ<span class="big">醒</span>めるだけで、広場を後にした。

今年は、父と母の<span class="big">墓</span>参りに帰ろうと思う。
故郷の記憶や<span class="big">匂</span>いが消えないうちに確認しようと思う。
僕はどこから来てどこへ行くのか。
この年になっても<span class="big">解</span>けない問題の答を探しに行こうと思う。

東日本大震災がつくった僕の心の<span class="big">傷</span>は、
この盆踊りの熱狂に<span class="big">焙</span>り出されて、
以外に大きい事に気づいてしまった。

国は被災された方々の心のケアを<span class="big">充</span>分にして欲しい。
行方不明者はまだ<span class="big">5</span>千人を切ったばかりだ。
なでしこJapan<span class="big">頼</span>みだけでなく、責任ある人もない人も、
痛みを共有しつつ、<span class="big">復</span>興の踊りの輪に入れるようにして欲しいものだ。
夏の一夜に誰にも心の解放を、と<span class="big">願</span>うばかりである。
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    <title>九日目の鈴虫</title>
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    <published>2011-05-27T12:32:56Z</published>
    <updated>2011-05-30T07:54:33Z</updated>
    
    <summary>邦画は近頃面白くないので、 劇場まで出かけて観ることはなかったが、 あまりの評判...</summary>
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    </author>
    
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        邦画は近頃面白くないので、
劇場まで出かけて観ることはなかったが、
あまりの評判というか広告に背中を押されるように、
「八日目の蝉」を観に行った。

        <![CDATA[<img alt="TW110527ajis.JPG" src="http://taosa-world.net/TW110527ajis.JPG" width="415" height="425" />
新宿で観たのだが、日曜の夕方と雨模様の天気のせいか、
ほぼ<span class="big">満</span>席だった。
場所柄か若いカップルや若い女性でいっぱいで、
僕のようなオッサン<span class="big">1</span>人というのはほとんどいなかった。

原作者の角田<span class="big">光</span>代は2～3冊読んで、
あァ、こんな感じか、といった感想しかもっておらず、
とりたてて<span class="big">読</span>みたい作家という事でもなかった。
ただ、彼女が、朝、仕事場のアパートへ出かけ、昼休みを取り、
また書いて、午後5時頃には執<span class="big">筆</span>を終える生活を
送っていると、彼女自身が何かに書いていたのを、
実に不思議に思ったことがあった。
それでは、作家という会<span class="big">社</span>に勤める
サラリーマンのようではないか。もちろん、それが
悪いとも良いとも思わないが、物<span class="big">書</span>きとは、
それほど<span class="big">シ</span>ステマティックにやれる仕事なのかと
訝ったま々、彼女に対する興味は失われていた。

「八日目の蝉」は、まだ、読んでいない。映画の方が先である。
これも、僕には<span class="big">珍</span>しいことで、だいたい原作を読んで、
どんな風に<span class="big">映</span>画文法に乗せるのだろうと、
監督や脚本家やカメラマン、役者に期待しつつ観る事ばかりである。
つまり、<span class="big">作</span>家として角田光代を、
僕は、さほど評価できないでいたのに、
世間の<span class="big">勢</span>いに引っ張られつつ、新宿まで出かけたのだった。

映画として言うなら、まァまァ、といった所でした。
宣伝文句で言うほど<span class="big">大</span>抑なものでもなく、
大した感動も湧き起こらなかった。
４才くらいの<span class="big">子</span>供が出てくれば、
それだけで可愛くてPureに見えてくるし、
写真家の<span class="big">緑</span>川洋一の如き映像で瀬戸内海を撮れば、
その美しさに大和心はグラグラしてしまうのは当然だし、
成島監督<span class="big">ズ</span>ルイよって感じですかね。
しかし、この映画に出てくる(多分、原作でも)男たちのダラシ無さの
ステレオタイプ的な所は、原作の<span class="big">薄</span>さを予感させてしまう。
女の作家だからと言って、男を書けないワケは無かろう。
もちろん、女が子供を<span class="big">産</span>む性であることを中心に据えているので、
男が希薄になることは多少割引いてもサ。
ちょっと、なんだか<span class="big">なァ</span>、でありまっし。
こんな風に男を描かれてしまうと、カップルで観に行った若い男は
どんな<span class="big">顔</span>をしていればいいんでしょうね。
帰りにどっかでメシでも喰いながら女に、
「あんたも、あんな風に<span class="big">逃</span>げるの？」
なんて問い詰められた日にはカタ無しです。

で、もう<span class="big">１</span>本。
先日観た「ブルー・バレンタイン」というアメリカ映画を想い出した。
こちらは、父親不明の子供を産む女を<span class="big">愛</span>し続け、
結婚し、傷つき、傷つけ、ついに家庭を破壊していくアル中の夫と
懸命に立て<span class="big">直</span>そうとする妻の話だが、
いやァ、こっちの方がはるかに良かったね。
リアリティがある。心がどうして<span class="big">傷</span>ついていくのか、
その傷を治す方法などどこにも無く、しかし、
愛そのものは<span class="big">変</span>質しつつ、変質に抵抗する弱い男が
自滅していく過程が<span class="big">痛</span>いほどに心に突き刺さる。
カメラワークも素晴らしい。役者もいい。
ウ～ンと<span class="big">唸</span>ってしまった。

要は、人生に対する<span class="big">深</span>度の差が２本の映画に出ていたのです。
もし僕がプロデュサーで、「八日目の蝉」を映画にするなら、
もっとスピード<span class="big">感</span>のあるものにするだろう。
誘拐された少女の心の成長の軌跡を掘り下げるだろう。
原作がどうなっているか<span class="big">知</span>らないが、そんな事はどうでもいい。
もっと違うタイプの男を登場させる事で、
彼女を混<span class="big">乱</span>させつつドキュメンタリー風のカメラワークで
追い廻してみたい。

まっ、<span class="big">戯</span>言ですが。
そんな感じの九日目の観<span class="big">客</span>の一人でした。

紫陽花が少しづつ<span class="big">色</span>づいて来ている。

梅雨がそこまで<span class="big">来</span>ている。

悲しみが哀しみに変わっていく被<span class="big">災</span>地の梅雨と夏は、
過<span class="big">酷</span>そのものになるかと思うと胸が痛む。
やはり、物語は、事実を越えられないのだろうか。

同居人が、<span class="big">鈴虫</span>を四匹買って来た。
<span class="big">節</span>電対策のひとつだと言う。

秋でもないのに、<span class="big">実</span>に良く鳴く。
<span class="big">働</span>き者なのか。
深夜、ふと目<span class="big">覚</span>めると、
「リ～ン、リ～ン」と、シンセサイザーで創った
ような、はっきりと、や々<span class="big">機</span>械的な大きな
鳴き声を立てている。

こんなに、はっきりと<span class="big">鈴</span>を振っているような
鳴き<span class="big">声</span>だったっけと改めて思い返してみるが、
少年の頃の鈴虫の鳴き声は聞こえてこない。

「<span class="big">リ</span>～ン、<span class="big">リ</span>～ン」

「リ～<span class="big">ン</span>、リ～<span class="big">ン</span>」

季節は、<span class="big">移</span>っていく。
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    <title>断酒</title>
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    <published>2011-05-20T08:31:12Z</published>
    <updated>2011-05-20T08:32:07Z</updated>
    
    <summary>健康上の理由で、昨年11月以来、 アルコールに関して、ドクターストップを かけら...</summary>
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        <name>Taosa</name>
        <uri>taosa-world.net</uri>
    </author>
    
    <content type="html" xml:lang="en" xml:base="http://taosa-world.net/">
        健康上の理由で、昨年11月以来、
アルコールに関して、ドクターストップを
かけられている。既に7ヶ月過ぎた。
医者の命による断酒は、生涯4度目である。

        <![CDATA[<img alt="TW20110520.JPG" src="http://taosa-world.net/TW20110520.JPG" width="400" height="300" />
まったく、<span class="big">懲</span>りもせずです。
初回や2度目の頃は、「立川断酒」なる名刺をつくって
<span class="big">遊</span>んでおりましたが、
事、ここに到っては冗談では済まない状況となっております。
毎度の事ですが断酒を命じられて約<span class="big">1</span>ヶ月近くは、
夕食の時に、どうにもこうにも
手持ち無<span class="big">沙</span>汰で仕方がなかった。
しかし、ある日、コンビニで、アルコール度0％という、
ビールテイスト<span class="big">飲</span>料なるものを知った。
驚<span class="big">愕</span>でした。ナンやこれでした。
K社、Su社、Sa社、A社、
日本の大手<span class="big">ビ</span>ール製造メーカーは、皆、出している。
Sa社は、プレミアムものまで出しました。
この他、ドイツにも2種類ある。
が、ひとつは、0.03%の<span class="big">ア</span>ルコールが入っている。
世の中、マコトに便利になったものであります。
というワケで<span class="big">全</span>種類を試してみました。
それぞれに、香り、<span class="big">味</span>わい、喉ごしが違う。
共通しているのは、酔っぱらわない事です。
(当り前と言えば当り前であります)

そんなにまでして飲みたいか、という声が聞こえて来ますが、
酒を<span class="big">飲</span>みたいのではない。
酒を飲むという時間によって心を切り替えたいのだという事が、
今回の<span class="big">断</span>酒でよ～くわかりました。
(これまた、今更でありンす)
ちなみに、何かに<span class="big">書</span>いてありましたが、
このアルコール０%を飲むことでは、
アル中は改<span class="big">善</span>しにくいそうであります。
つまり、気分なのですナ。

やっかいな打ち合わせも終わり、ほなメシでもといった時に、
いきなり<span class="big">丼</span>物は食べられまへんわなァ。
そこに到るまでに、さまざまな<span class="big">儀</span>式が必要やないですか。
そう考えると、
｢まずは、ビール｣とは、実に<span class="big">良</span>くできた台詞であります。
セレブたちなら、
「まずはシャンパンか<span class="big">キ</span>ールロワイヤルでも」
という事になりますか。
ハードボイルドなら、よく<span class="big">磨</span>かれたバーカウンターの前で、
口開けの客として、
「ドライ・マ<span class="big">ティ</span>ーニ、ストレートアップ」
という所ですナ。

私のような、さほどこだわりのない<span class="big">庶</span>民は、
「まず、ビール」です。
今なら、<span class="big">空</span>豆、<span class="big">枝</span>豆、
あるいは、冷奴か昨夜のおかずの残りの煮びたしなどを肴に。
それとも、<span class="big">夕</span>飯のおかずが、天ぷらやコロッケなら、
口の中でホクホクしているものを、
<span class="big">冷</span>えたビールでなだめながら頂く、という手もあります。
要は、間なのです。
とすれば、アルコールが<span class="big">入</span>ってようが無かろうが、
気分は出る。晩酌と言えるか言えないかは別にして、
夜の時間に入って<span class="big">行</span>くぞ、という心構えができるのです。
(何やら、おおげさですが)
一日の中で、一番落ち着かない、心が<span class="big">揺</span>れる夕間暮れ。
この時間をどうやり過ごすかは、
これまでのワタクシの人生の中で最<span class="big">大</span>問題でありました。
従って、いきなり「ほな、カツ丼」とは行けまへんねェ。

そこで、アルコール０％の
ビールテイスト飲料の<span class="big">登</span>場となるのです。
そりゃァ、まァ、あれこれと舌鼓を打ちながらの
純<span class="big">米</span>酒や芋焼酎やボルドーやブルゴーニュやモーゼルは
アキラメですワ。
もちろん<span class="big">食</span>後のマールも、グラッパもシングルモルトも、
カットです。
その<span class="big">替</span>わり、ブルーマウンテンもあれば、
エスプレッソもある。
でもね、口<span class="big">惜</span>しまぎれではなく、
ホントに、もう飲まなくても<span class="big">気</span>にならなくなって来たのです。
ワタクシ、散々大酒を飲んで他人様に大変迷惑をかけてまいりました。
その頃の悪<span class="big">口</span>雑言、説教癖
(本人は覚えていない所が、また、罪深いのですが)を棚に上げ、
その<span class="big">揚</span>句のこの断酒に関する台詞は、
またまたジコチューである事もわかっております。
この<span class="big">齢</span>になって、そんな事がわかっても、
しょうがないのですが、酒が文化である事も重々承知の上で、
ワタクシ、あまり、<span class="big">酒</span>を必要としないのではなかろうか、
と不遜にも思い始めたのです。
これは20数年前に<span class="big">煙</span>草をやめた時に似ております。

しかし、その煙草も、昨年から、週に一度、
野っ原での小さな<span class="big">球</span>打ちの時、
シガリロを1本だけふかし始めました。
「紫煙」という文化をすべて<span class="big">捨</span>ててしまいたくない、
という気持ちが残っていたのでしょう。
アルコールに関しても、<span class="big">医</span>者は、週に1、2回、
ホンの少しならと言ってはくれますが、生来、だらしのない私の事、
封を<span class="big">切</span>ったら、とてもとてもそんなものでは済まない事は
よ~くわかっておりますので、
ただの一<span class="big">滴</span>も、と決めておるワケです。

煙草<span class="big">復</span>活のように、自分にとても大切な時間が来た時に、
選び<span class="big">抜</span>いたものを１杯だけという日がいつか来るかもしれません。
(甘いかなァ)
それまでは＜０％＞の力に<span class="big">頼</span>っていきます。
ちなみに、ワタクシは、今の所、
オールフリーというSu<span class="big">社</span>のものとSa社のプレミアムが
お気に入りであります。

しかし、<span class="big">人</span>は弱いねェ。
いや、ワタクシが<span class="big">弱</span>いんです。
禁欲などという決して<span class="big">上</span>等なものではありません、
ワタクシの断酒は。
ただただ、<span class="big">情</span>けなかァ～、です。
まさしく、ツケが<span class="big">廻</span>って来たのです。
ありとあらゆるものに<span class="big">支</span>えられて生きている自分を
改めて認識する＜０％＞の<span class="big">１杯</span>のグラスでありまっし。

さて、今<span class="big">宵</span>も＜０％＞とともに、
夜を<span class="big">開</span>いていくワタクシであります。




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    <title>花は、咲けども　　</title>
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    <published>2011-05-11T11:21:43Z</published>
    <updated>2011-05-11T11:22:38Z</updated>
    
    <summary>五月になった。 いっせいに、花が咲いている。緑も輝いている。 中でも、つつじが美...</summary>
    <author>
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    </author>
    
    <content type="html" xml:lang="en" xml:base="http://taosa-world.net/">
        五月になった。
いっせいに、花が咲いている。緑も輝いている。
中でも、つつじが美しい。
特に白い花は、五月の光の中、
その陰影には森羅万象を見るようだ。

        <![CDATA[<img alt="gogatusiroihana.JPG" src="http://taosa-world.net/gogatusiroihana.JPG" width="377" height="284" />
今日で2ヶ月が経った。
戦争なら、哀しみを憎しみに<span class="big">転</span>化できるだろうが、
今回の大震災と原発事故は転化しうるものがないだけに、
哀しみを<span class="big">深</span>くさせているように思う。
＜カナシミ＞と言えば、
先日、「ミルクの悲しみ」というペルー<span class="big">映</span>画を見た。
監督は、クラウディア・リョサ。
ペルーのノーベル<span class="big">文</span>学賞作家バルガス・リョサの姪である。
1970年代80年代のペルー内線を背景にした女性の物語です。
いやァ～、<span class="big">良</span>かったなァ。
不思議なストーリーの背後に
骨格の大きい時代性を<span class="big">語</span>る、生への欲求が見え隠れする。
故郷の村を想う主人公の気持ち、母へのいたわり、
そして、ペルーの<span class="big">乾</span>いて美しい風景を切り出した映像。
文明が与える利便と背徳が見事に描かれている。
侵す人。<span class="big">侵</span>される人。盗む人。<span class="big">盗</span>まれる人。
踊らせる人。踊る人。
その狭間で深く<span class="big">潜</span>り込む心。
希望の欠片をほんのちょっとだけ差し出して映画は終る。
女性という性が持つ、独特の<span class="big">香</span>りが映画館の中に残った。

女性と言えば、もう１本、<span class="big">女</span>性が主人公の映画を観た。
「トゥルー・グリッド」である。
1969年に制<span class="big">作</span>された、ジョン・ウェイン主演の
「勇気ある追跡」のスピルバーグの手によるリメイク版だが、
実に良くできた仕<span class="big">上</span>がりになっている。
なにより、主人公の14歳の少女を演じる長編映画デビューの
ヘイリー・<span class="big">ス</span>タインフェルドがいい。
<span class="big">凛</span>とは、この役の彼女のためにある言葉かもしれない。
僕の大好きな映画、’71年ピーター・ボグダノヴィッチ監督
「ラスト・ショー」出演以来<span class="big">存</span>在感を持ち続け
ているジェフ・ブリッジスと
独<span class="big">特</span>のキャラの、マット・ディモンという
両脇役も渋くて、キャスティングの良さに泣かされた。
でもサ、ちょっと<span class="big">ア</span>ニメっぽく感じてしまうのは、
製作総指揮にスピルバーグが
<span class="big">座</span>っているからなのではないでしょうか。
そこの所が観終わった後の残念になってしまった。

それにしても、ここのところ、
女性が<span class="big">主</span>人公の映画の方が出来が良いのは何故だろう。
昔からなのか、それとも、昨今の傾向なのか。
この二作は、その女性が、二人とも<span class="big">若</span>い。
ただ若い女性というワケではない。
若いけれども、<span class="big">深</span>淵を覗いている。
近頃、男はいったいどうしたんだろう。
映画の主人公にさえなれないほど<span class="big">ダ</span>メになったのか。
世の中が女を求めているのか。両方なのか。
とにかく、<span class="big">ペラ</span>いのです。
いやはやである。
タマに見る<span class="big">テ</span>レビでも、
だらし無い老人や若い男が薄く画面に乗っかっている。

映画にもどるが、二作とも<span class="big">悲</span>しみが底辺に敷かれている。
でも、「悲しみのミルク」では怒りが表に出ない。
「トゥルー・グリッド」では<span class="big">執</span>念に転化している。
この違いが大きくこの2つをわけている。
僕は、「悲しみのミルク」に<span class="big">魅</span>かれる。
それは、丸裸の心に突き刺されるものの大きさが違うからだ。
今の日本の状況も、心を<span class="big">裸</span>にされている。
だからこそ、まったく違うことではあるが、貫いているものの
意志の強さに、僕自身が<span class="big">奪</span>われてしまうのだろう。

創り手が、創るものに対してRespectを持っている事が、
この時代、女性に<span class="big">R</span>espectを持っている事が、
この2つの映画を秀逸なものにしているのだろう。
日本という<span class="big">国</span>は、(ほかの国でもそうなのかもしれないが)
いつの間にか、Respectが薄くなってしまっている。
それは、どの<span class="big">組</span>織を見ても、そう感じる。
Respectでなく、腐臭と怠慢、尊大と独善によって、
戦後を<span class="big">欺</span>き続けて来た結果が、
大地震、津波、原発事故という
この大惨事によって、<span class="big">焙</span>り出されたようだ。

どこかの思いあがった知事のように我欲による天罰だなどと、
不<span class="big">遜</span>な事は言うまい。
<span class="big">誰</span>にも責任があり、
そして、誰もが義務を<span class="big">果</span>たすべき時が来たのだと思う。

想定外などと<span class="big">言</span>ってはいられない。

＜カナシミ＞の<span class="big">行方</span>が見えない。

日々、真綿で首を<span class="big">締</span>められているような
じわりとした不安に耐え、冷徹を湛えた眼差しで
事実のみを丁寧に<span class="big">拾</span>いあげ、自身の事として
考え続ける必要があろう。

被災された方々、<span class="big">亡</span>くなられた方々を身内に持つ人と同じように、
想い、願い、祈り続けるしかあるまい。

毎日の新聞<span class="big">報</span>道によると、行方不明者は1万人を切った。
その一方で死者の数は増えている。
一日ごとに<span class="big">悲</span>しみは増えている。

想像よりも、現実ははるかに<span class="big">残</span>酷だ、と思い知らされる。

すべての事実を<span class="big">受</span>け入れながら、
一歩でも<span class="big">歩</span>き出そうとする人々に脱帽しつつ、

<span class="big">亡</span>くなられた方々に、合掌。

]]>
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    <title>さくら餅</title>
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    <published>2011-04-13T12:51:25Z</published>
    <updated>2011-04-13T12:52:27Z</updated>
    
    <summary>この2週間ほど、写真のさくら餅を食べ続けている。 本店は岡山。源吉兆庵の赤坂の出...</summary>
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        <name>Taosa</name>
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    </author>
    
    <content type="html" xml:lang="en" xml:base="http://taosa-world.net/">
        この2週間ほど、写真のさくら餅を食べ続けている。
本店は岡山。源吉兆庵の赤坂の出店で売っている。

        <![CDATA[<img alt="さくらもち.JPG" src="http://taosa-world.net/%E3%81%95%E3%81%8F%E3%82%89%E3%82%82%E3%81%A1.JPG" width="435" height="579" />
道明<span class="big">寺</span>ほど赤々しくなく上品で、
ほんのりと色がついているようないないような、
染井吉野の花よりも<span class="big">淡</span>くはかない色合いに魅かれる。
上には桜の花びらの塩漬けが乗っており、
包んでいる<span class="big">桜</span>の葉も小振りで、
甘さもほのかな味わいと、組み合わせも絶妙なものがある。

東日本大<span class="big">震</span>災と福島<span class="big">原</span>発については、
言葉もない。怒りや悲しみを通り超している。
呆然と<span class="big">見</span>ているだけの自分がいる。
ののしりやそしり、なぐさめも、何ひとつない。
心に大きく<span class="big">湧</span>き起こらない。
言葉を使って、生活の糧にしてきた筈なのに
どんな言<span class="big">葉</span>すら薄く軽い。
かつて開高健が、
アウシュビッツの収<span class="big">容</span>所を訪れた時に書いた
「言葉など枯葉一枚の重さもない」
という一文が頭の<span class="big">中</span>をまわっているだけである。
願いも、祈りも忘れてはなるまいが、
それだけの<span class="big">日々</span>はおくれない。
マスコミによって発表されるものを注視するのみである。
そして、できる<span class="big">限</span>り何事もなかったかの如く朝を迎え、
夜の暗さに身を投じるだけである。

とは言いつつも、気がつくと、毎日の新聞の死亡者発表欄に
相馬出身、Aの<span class="big">名</span>を探している。
犯されまいと思いつつ、犯されているのがわかる。
いつものように、そう<span class="big">思</span>いつつ、4月10日は、
千葉のK葉CCに球打ちに出かけた。
桜は<span class="big">満</span>開である。空は青く、風も穏やかであった。
この時も、苦しんでいる人は、数知れない。
しかし、この花<span class="big">吹</span>雪の中を歩いていると、
生きている間に、後何回、
こんな<span class="big">球</span>打ちができるのだろうと思ってしまう。
自然というもののさまざまな顔つきに、
残る<span class="big">命</span>の行方さえ見失う。

透き通るような優しさも<span class="big">果</span>てのない恐怖もある。
こんな時期に花見ゴルフなど、という声もあろうが、
僕には<span class="big">返</span>す言葉はない。
人は無力であるが、無能でもない。
神でもない<span class="big">人</span>の身は、もちろん全能ではない。
闘いながら生きるしかないのだろう。

それにしても、震<span class="big">災</span>以来、よく泣く。
家族を失った少年少女たちの話、高齢者のみ生き残った悲嘆、
それでも<span class="big">健気</span>に前を向く人たち…
泣くまいと思いつつ泣いてしまう。
映画を見ても、本を<span class="big">読</span>んでも、スポーツを見ても、
懸命なものに触れると途端に涙が出る。
年のせいか、<span class="big">涙</span>もろいのか。
目を背けつつ、心は凝視してるのかもしれない。
もともとの<span class="big">鬱</span>っ気が出て来そうである。
心なしか、今年の桜は、例年以上に大きく咲いている気がする。
そして、少し花の<span class="big">色</span>がグレーに感じる。
咲き残るピンクの垂れ桜の向うに、半分ほど葉桜と
なりながら<span class="big">染</span>井吉野の白と緑があり、
花を透かして、少し霞がかった春の空の青がある。
<span class="big">美</span>ｃしくて、<span class="big">哀</span>しい。

この春の、この桜を、僕は死ぬまではっきりと
<span class="big">憶</span>えているだろう。
僕の人生で、これほどまでに
桜を<span class="big">意識</span>して見た事はなかったのだから。
もちろん励ましの心は続いているが、
被災された人たちの<span class="big">哀</span>しみを共有できるワケもなく。
おためごかしに、頑張ろうとも言えず、
それでも何かに想いを<span class="big">託</span>すしかない我が身の小ささに、
頭垂れるしかない。

春が<span class="big">美</span>し過ぎて、
桜が見事<span class="big">過</span>ぎて、

心は<span class="big">痛</span>みつつ揺れ動く。
揺れると<span class="big">書</span>くだけで、心がキュッと縮む。

戦争を知らず、終<span class="big">戦</span>直後の混乱も記憶にない僕には、
この春は、思いもかけない<span class="big">一撃</span>を加え続けている。
さくら<span class="big">餅</span>の幸せを楽しんでいいのやら、どうやら、
ひどく<span class="big">難</span>しいことに感じる。

なんと、<span class="big">残</span>酷な春なのだろう。
春だからこそ、なおさらに残<span class="big">酷</span>に思うのだろうか。

亡くなられた方々のご冥福を祈るとともに、
今なお闘い続けている被災された方々に深く頭を垂れる。]]>
    </content>
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    <title>もやもや</title>
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    <published>2011-03-07T11:37:09Z</published>
    <updated>2011-03-07T11:38:03Z</updated>
    
    <summary>体調は悪くはないが、数値が安定しない。 調子の出ないゴルファーのようである。 こ...</summary>
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        <name>Taosa</name>
        <uri>taosa-world.net</uri>
    </author>
    
    <content type="html" xml:lang="en" xml:base="http://taosa-world.net/">
        体調は悪くはないが、数値が安定しない。
調子の出ないゴルファーのようである。
ここらが落ち着いてくれると、あちらに支障が出るという具合。
やっとれまへんわなァ。

        <![CDATA[<img alt="shouri.JPG" src="http://taosa-world.net/shouri.JPG" width="495" height="454" />
言うワケで、<span class="big">断</span>酒のまま、よく眠る日々を
重ねている。赤ん坊でも、こうは寝るまい、
というくらい<span class="big">眠</span>る。不眠症があるなら、
多眠症ではないかと思うくらいだ。
もしかしたら、<span class="big">僕</span>は、人間の姿をした
冬眠する動物なのではないだろうか。
そうだとしたら、いっそその方が<span class="big">幸</span>せではあるのだが。

てな事を考えつつ、また、<span class="big">映</span>画館へ行く。
久々の岩波ホールでした。
岩<span class="big">波</span>ホールって、どこかプチブル、小インテリっぽくて
好きではない(しかも、シニア1,500円だゼ)のだが、
女性監督による、サ<span class="big">ラ</span>エボの映画だというので行ってみた。
「サラエボ、希望の街角」である。
確かに<span class="big">女</span>の視点である。
新しいサラエボと旧いサラエボがせめぎあいながら、
時代の<span class="big">壁</span>を乗り越えようとしている。
無学にして、イースラムの教えの事はほとんど知らなかったが、
この映画を<span class="big">通</span>して、始めて、
原理主義的イースラムの端っこに触れた気がした。
しかし、この映画、ボスニア<span class="big">紛</span>争から15年。
つまり、旧ユーゴスラヴィア連邦が解体し、
19<span class="big">92</span>年に始った、民族と宗教がからみあい、
第二次大戦後、ヨーロッパ最悪と言われ、
死者20万人、難民･避<span class="big">難</span>民が200万人という紛争も、
東北アジアの小国から見るとまったく他人事のようである。
つまりは、<span class="big">接</span>点がないのです。
この映画が訴えかけている不条理や絶望が
皮膚を<span class="big">貫</span>通してこないもどかしさにとらえられる。
ボスニアの人々やボスニアに近い人々には、
この映画は、ひどく<span class="big">痛</span>いかもしれないが、
残念ながら僕には、その銃弾の音が
遠くに<span class="big">聞</span>こえたに過ぎなかった。
帰りに神保町の餃子屋「包子餃子の店スヰート ホーツ」に寄った。
昔ながらの美味いような<span class="big">安</span>いだけのような餃子に
懐かしさを感じつつ夕食がわりにした。
口直しに、「ヒアアフター」を<span class="big">観</span>たが、
クリント・イーストウッド監督のアメリカ人らしいヨーロッパ観が
表に出て来て、興<span class="big">醒</span>めしてしまった。
妙に監督、監督し過ぎたんじゃないかなァ。
スピルバーグが<span class="big">助</span>っ人に入っていても、
やっぱり、マット・ディモンの持つ
ハードな<span class="big">魅</span>力は出し切れていなかった。
でも、イギリス人の子役はナカナカでしたね。

と、もやもやのまま、秩<span class="big">父</span>宮には行けなかったが、
ラグビー日本選手権決勝、サントリー対三洋をTVで観戦した。
今年限りで三洋の<span class="big">名</span>を変えるだろう
(多分、パナソニックにでもなるのかな)チームと、
元オーストラリア代表<span class="big">監</span>督エディ・ジョーンズ率いる
サントリー。しかも、サントリーのスクラムハーフ、
ジョージ・<span class="big">グ</span>レーガンは、これがラストマッチとなる。
139のキャップを持つ元オーストラリア代表キャプテン
グレーガンの最後の<span class="big">雄</span>姿は、後半15過ぎから見る事ができた。
さすがは、世界のハーフと言われただけの
事はある、素晴らしい状況判断と<span class="big">球</span>さばきだった。
それにしても、サントリーの選手たちの筋肉のつき具合は
凄いものがあり、<span class="big">身</span>体あっての技術、フィジカルあっての
80分間フルタイム<span class="big">闘</span>争だと感じ入った。
エディ・ジョーンズの手腕を垣間見せられたゲームだった。

そして、新聞でイーグルスが<span class="big">来</span>日中であり、
当日券があるというので、東京ドームへ出かけた。
意<span class="big">外</span>とあっさりチケットは手に入ったが、
一時間半ほどの中途半端な時間をもてあまし、
ついつい、JRAの<span class="big">馬</span>券売り場へと行ってしまった。
弥生賞の出走まで、約45分。
そりゃァ、<span class="big">福永</span>から買いますョ。
乗ってる馬も悪くない。しかし、中山は荒れてますね。
ゲートが開いたとたんに<span class="big">隣</span>の馬に当てられてしまった。
ゴール前、懸命に追うも７着と惨敗した。
ええい、ままョと12レースも<span class="big">買</span>おうと思ったが、
グッとこらえて、(憶病になったのか、大人になったのか？)
東京ドームへ向かう。
当日券の割には、<span class="big">席</span>も悪くない。
まァ、ドン・ヘンリーの顔なんか豆粒で見えやしませんが、
最近は<span class="big">大</span>型スクリーンがステージの両サイドにあるので、
充分に楽しめます。
Hotel Californiaなんか前半の方でさっと<span class="big">演</span>るし、
ダレかかると、The Long Runで盛り上げる。
アンコールは、<span class="big">T</span>ake it Easyで始め、
Desperadoで締めて3曲という豪華さ。
実力派の面目<span class="big">躍如</span>でありまっし。
1970年代と言えば、ヴェトナム戦争末期に入る頃、
アメリカの心を<span class="big">探</span>し求めた若きロッカーたちが、
カントリーとロックの間に揺れのたのも、
今となっては、<span class="big">良</span>くわかる気がした。

そうだよね。<span class="big">Take it Easy</span> だよね。
深刻になり<span class="big">過</span>ぎてもね。でも、ノー天気でもね。

もやもや心を<span class="big">抱</span>えながら、毎日は、Take it Easyでなければ、
生きていけない。

心の深度を<span class="big">堀</span>り続けながらの日々の
処世の漂流は、アジア人にはお得意なはずではなかったか。

OK、ジョージ・グレーガン、OK、ドン・ヘンリー、

僕も、<span class="big">Take it Easy</span>を目指して見るよ。
もやもやも、<span class="big">Take it Easy</span>だよね。


]]>
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    <title>旅立ちは、</title>
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    <published>2011-03-02T10:21:31Z</published>
    <updated>2011-03-02T10:40:40Z</updated>
    
    <summary>２月半ば、２週連続して週末は東京の天気は荒れた。 冬が最後の駄々をこねているよう...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="en" xml:base="http://taosa-world.net/">
        ２月半ば、２週連続して週末は東京の天気は荒れた。
冬が最後の駄々をこねているようだった。
寒い冬らしいエンディングの演出かもしれない。

        <![CDATA[<img alt="tabidati2011.JPG" src="http://taosa-world.net/tabidati2011.JPG" width="426" height="401" />
というわけで、週<span class="big">末</span>ヒマつぶしに小さな白い球を打ちに
出かけるという事もできず、
評判の<span class="big">良</span>さそうな映画を見る事にした。
 
１本は、「再会の食卓」である。
昨年、ベルリン国際映画<span class="big">祭</span>で「銀熊賞」を受賞した、
ワン・チュエンアン監督の作品で、
なるほどと思える<span class="big">脚本</span>の良さであった。
台湾と大陸に分けられた中国という国の特異性に
焦点を<span class="big">当</span>てたドラマは見事だった。
役者たちも、みんなそれぞれの味わいで、
特に主<span class="big">演</span>の女優は、言葉少ないだけに、
表情の演技は圧倒的だった。
最近、日本の<span class="big">若</span>い役者に、このしたたかさがないのは、
この国が滅び始めた証拠かもしれない。
J事務所が取り仕切る<span class="big">TV</span>ドラマなど
学芸会にも劣るのではないのかなァ。
迎合ばかり<span class="big">重</span>ねると文化は消えてしまうというのに。
 
さて、この映画で一瞬目頭が熱くなりそうだったのは、
小学生たちが<span class="big">歌</span>う「旅愁」
( 日本では、 こういうタイトルで中等教育唱歌になっているが、
原曲は、アメリカ、オードウエイ作曲
Dreaming of Home and Mother.である)
の<span class="big">場面</span>である。
メロディもさる事ながら、中国語の歌詞、
まっ、僕は<span class="big">中</span>国語はサッパリなので、
字幕の翻訳で見ると、日本語の歌詞より遙かに素晴らしい。
日本語の歌<span class="big">詞</span>のように女々しくないが、
哀しく、切ない、そして、どこか明るい。
砂を<span class="big">噛</span>む(ホントに噛んだ事はないが)ような
処世に時間をとられている身には、
その小学生たちの歌声は、<span class="big">名</span>手の投げる
ダーツのように痛烈に僕の心の中心に突きささった。
年齢とともに身も心も<span class="big">弱</span>りつつあるのだろう。
純真なもの、<span class="big">無</span>垢のもの、清冽なものには、
もう手も足も出ず、涙しか流れなくなっているのかもしれない。
しかし、戦争映画にしろ何にしろ、<span class="big">想</span>い出すのは、
父や仕事でなく、母や故郷であるのは世界共通であり、
子は<span class="big">母</span>のものという想いを、また、強くした。
澱みが沈み、内壁にこびりついている自分に向きあわせられると、
一瞬、自身が<span class="big">消</span>えたように感じられる。
そして、再び暗闇の中に戻ると、
この<span class="big">映画</span>は、サスガと思わせる、
現実主義的な中国人らしいエンディングで、
半世紀を<span class="big">越</span>えて、今中国が直面する
新しい苦しみの種を垣間見せて終わる。
 
その日、日比谷の椿屋という珈琲屋で1時間程時間をつぶして、
有楽町で二本目の「ザ・<span class="big">タ</span>ウン」を見た。
これも、また別離と旅立ちの映画であった。
ボストンの<span class="big">貧</span>しいアイリッシュの若者たちが
銀行を襲う話である。そのうちの一人が、
襲った銀行の<span class="big">女</span>支店長と恋に落ちる。
人は、与えられた運命を変える事ができるのだろうか。
もう一度、<span class="big">出発</span>できるのだろうか。
誰もが、一度は願うだろう旅立ちへの想いを
素晴らしいドラマに仕<span class="big">立</span>て上げていた。
監督兼主演のベン・アフレックがいい味を出している。
行き場のない青<span class="big">春</span>を通り過ぎていく、
大人へのブリッジの季節、
誰もが、どこかで<span class="big">苦</span>い味を覚える季節が、
ハッピーともアンハピーとも言わず、
わずかな希望だけ<span class="big">残</span>して映画は終わる。
2本ともエンドロールが終わるまで、席を立てなかった。
それは、この<span class="big">2</span>本の映画とも、
エンドロールにかぶせて流れる音楽に、
監督の想いが<span class="big">詰</span>まっているように思えたからだ。
 
ここの所の頻<span class="big">尿</span>症に身をよじりながらも
劇場が明るくなるまで見させられてしまった。
まァ、現<span class="big">実</span>は、こうはいかないんだけどサ、
と思いつつ、劇場を後にする。
映画を見<span class="big">終</span>わると、いつも現実の自分が
拗ねたように現われる。歩んできた道への後悔と言い訳を
交互に<span class="big">紡</span>ぎながら、夜道を歩く。
少しの物足りなさと、
脚本への注文、編集への<span class="big">違</span>和感などが、
心と体を揺さぶり続け、冬の星空は皓々とし、
<span class="big">身震</span>いをしつつ地下鉄に乗る。
 
映画や小説は、心を<span class="big">内</span>へ向かわせてしまう。
向かいすぎると息苦しくなる。
よく晴れた冬空の<span class="big">陽</span>射しの下の球打ちが懐かしくなる。
そこには解放があるからだ。
そんな事を思いつつ、内へ<span class="big">向</span>かう心は、
２０年以上止めていた喫<span class="big">煙</span>へと僕を向かわせ、
シガリロに手を伸ばした。
一服で<span class="big">咽</span>せかえってしまった。
一週間に1回だけ、休日の球打ちの日に、
1本のシ<span class="big">ガ</span>リロを野っ原で吸おう。
残る人生を考える一服にしよう。
ダビドフの紫煙の中、<span class="big">誰</span>にともなく、自身に宣言する。
 
もやもやした<span class="big">冬</span>である。
エジプトはひっくり返る。リビアにも火が点いてしまう。
<span class="big">南</span>シナ海、<span class="big">東</span>シナ海、波高く、
北方四島はシケ模様である。
世界はどこへ<span class="big">行</span>こうとしているのか。
僕は、何とちっぽけなんだろうか。
 
10年ほど前、父が死ぬ少し前に寄越した<span class="big">葉</span>書きに
「もうこの齢になると、一年一年が勝負だ」
と<span class="big">書</span>かれてあった事を思いだした。
昨年は、父の七回忌だった。
 
父はどんな想いを<span class="big">抱</span>えて、この一行を書いたのだろう。
聞いておかなければならない事を
何ひとつ聞けないままに、<span class="big">父</span>は向う岸に逝った。
謎かけの答えを教えないままに。
 
<span class="big">後</span>、何年。後<span class="big">何</span>かひとつ。
果たして、僕に、もう一度旅立ちはあるのだろうか。
そう思いつつ、今<span class="big">夜</span>も、月が<span class="big">昇</span>って来る。
 

]]>
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    <title>雲と光が戯れて　　</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://taosa-world.net/2011/02/post_74.html" />
    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://taosa-world.net/cgi-bin/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=1/entry_id=114" title="雲と光が戯れて　　" />
    <id>tag:taosa-world.net,2011://1.114</id>
    
    <published>2011-02-03T10:08:24Z</published>
    <updated>2011-02-03T10:09:24Z</updated>
    
    <summary>冬の空は空気が澄んでいるのか、遠くまでよく見える。 夕焼けはあまり赤くならず、 ...</summary>
    <author>
        <name>Taosa</name>
        <uri>taosa-world.net</uri>
    </author>
    
    <content type="html" xml:lang="en" xml:base="http://taosa-world.net/">
        冬の空は空気が澄んでいるのか、遠くまでよく見える。
夕焼けはあまり赤くならず、
ややボンヤリと空がオレンジ色に染まるが、
今日は珍しく、雲と光が危うい関係を創り出していた。


        <![CDATA[<img alt="sorasora.JPG" src="http://taosa-world.net/sorasora.JPG" width="510" height="465" />

真夏の、東南アジアのような<span class="big">燦爛</span>たるドラマとは違う、
東北アジアの冬の空らしい、
<span class="big">旺盛</span>さとはほど遠いが、
なかなか味わい深い空の芸に
思わず写真を<span class="big">撮</span>った。
まっ、とにかく、寒い冬であります。
おお<span class="big">寒</span>、こ<span class="big">寒</span>です。
夕方の3時になると
空気は急激に<span class="big">冷</span>え込んで来る。
昼前後の柔らかな陽射しがくれる幸せは、
まさしく、ジョン・<span class="big">デ</span>ンバーの
Sunshine On my Shoulder Makes me Happy
であ<span class="big">り</span>まっし。

かつて、バリやシンガポールや
<span class="big">ボ</span>ルネオや<span class="big">サ</span>イゴンや<span class="big">バ</span>ンコックで見た、
生命を惜しまないほどの情熱に溢れた
雲と光の<span class="big">戯</span>むれは、永遠の発展途上を感じさせてくれた。
要は、血が<span class="big">騒</span>ぐのである。
夜の入口で囁きかける厚化粧の女なのである。
それに<span class="big">引</span>き換え、
今の日本の夕陽は淋し気になにやら俯きながら呟くだけである。

はてさて、この１ヶ月もさまざまな事が起きた。
案の定、大<span class="big">学</span>ラグビーは、帝京がFW戦に持ち込み、
早稲田は、それを打開する知恵を持たず、破れた。
このラグビーを<span class="big">観</span>る限り、
今年ニュージーランドで開催される
ラグビーワールドカップでの<span class="big">日</span>本の行方は知れている。
大切なのは、アイデアと勇気と信頼じゃないのか。
アイ<span class="big">デ</span>アがなければ、
そこに賭けるべき勇気も信頼も湧き起って来ない。
それにしても、勝負は<span class="big">非情</span>なものだ。
開始早々に、早稲田のスクラムハーフ榎本が、
パスダミーで<span class="big">ペ</span>ナルティをとられた。
竹林さん、あれはないでしょうョ。
あの<span class="big">笛</span>が、あの試合の全てを
決めてしまったと言っても過言ではない。
戦い終えて、グランドに突っ伏したまま<span class="big">泣</span>きじゃくる榎本に、
僕も、もらい泣きしてしまった。
それにしても早稲田の<span class="big">辻</span>監督と
キャプテン有田はどう思っていたのか。
FW戦に持ち<span class="big">込</span>まれてもスローペースにならずに
テンポアップできると思っていたのだろうか。
過信だよなァ。選手はみんな２０才そこそこの<span class="big">若</span>さだョ。
大向こうを唸らせる賭ける策がなくっちゃねェ。
亡くなった大西先生は<span class="big">向</span>こう岸でどう思っただろう。

それにくらべると、サッカーアジアカップでの
ザッケ<span class="big">ロー二</span>監督は、
海千山千(ちょっと言葉が悪いかな)とにかく、
こまやかな心<span class="big">配</span>りの人だった。
熾烈な戦いを経て来た、ある達観が感じられる。
イタリア人は日本人に<span class="big">似</span>ているのだろうか。
小さな国土、永い永い歴史、北と南の異なる文化、
海に<span class="big">囲</span>まれたが故の食生活…
心を育むのは、そういったものなのだろう。
今の日本の<span class="big">若</span>者たちに見える、
他人が押しつける教育の無力な側面を
いかに<span class="big">振</span>り払えば他国に互していけるか。
まっ 日本の優勝は、今後の日本のサッカーに期待を持たせてくれた。
ト<span class="big">ル</span>シェにしろ、<span class="big">岡</span>ちゃんにしろ、
やっぱり人間として若いよなァ。
経験を<span class="big">積</span>み、怒りと涙と笑いと哀しみを
ふんだんに心に刻み込んだ指導者の襞こそ、
この国のあらゆる部分で<span class="big">必</span>要ではなかろうか。
民主党を始め、各党の政治家なんか、
ホンマ、<span class="big">阿呆</span>ばっかだもんなァ。

先日観た「Mother and Child」（愛する人）という映画にも、
人生の<span class="big">年輪</span>の重ね方の難しさを教えられた
その頃、台湾の青春映画「モンガに散る」も観たが、
<span class="big">危</span>うい年頃の少年たちの激情は楽しくも哀しかった。
でもサ、これってTVドラマでも充分かも。
扱っているテーマが<span class="big">違</span>うという事もあるが、
「Mother and Child」（愛する人）の方が
はるかに<span class="big">映画</span>的だったように思う。
このテーマ、このストーリーは、
とてもTVドラマの<span class="big">枠</span>には入り切らないものがある。
そう思いつつ、改めて、映画とTVドラマの差に思い至った。

子供はやっぱり<span class="big">母親</span>のものなのですねェ。
男は悲しいものですョ。
シングルマザーが<span class="big">増</span>えるのもうなづけるというものです。

もちろん男と女では役割が違う。
でもサ、<span class="big">戦</span>争小説や戦争映画で、ほとんどが父を呼ばず
母を呼んで死んでいくのもわかる気がするなァ。
心の中の<span class="big">臍</span>の緒は切れないものなのですねェ。
それと、母と娘の不可思議な連帯感も、
男の僕には、わかるようで<span class="big">実感</span>できなかったなァ。
まァ、実感できたら気持ち悪いけどね。
推し<span class="big">計</span>るしかないんですが。

いやはやこんな<span class="big">齢</span>になっても、気づく事は多い。
生きる事は死ぬ事かと思っていたが、
どうやら、<span class="big">死</span>ぬ事は<span class="big">生</span>きる事の方が正解かもしれないと、
思い始めた。

それにしても、<span class="big">寒</span>いよ～。

♪夜が<span class="big">冷</span>ェたァい～、<span class="big">心</span>がァ寒ゥい～♪

であります。

シンと<span class="big">冷</span>えた夜に輝く<span class="big">月</span>は、
弱い心をスパッと<span class="big">切</span>りつけるように鋭利に浮かんでいる。

私なんぞは、切られの<span class="big">与三</span>のように傷だらけでありますナ。

さて、

<span class="big">風</span>に<span class="big">負</span>けるナ　　<span class="big">ワ</span>ッセ　　ワッセ
<span class="big">寒</span>さに<span class="big">負</span>けるナ　　ワッ<span class="big">セ</span>　　ワッセ
ワッセ　　ワッセ　　ワッセ　　ワッセ




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    <title>天気晴朗なれど</title>
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    <published>2011-01-05T09:52:22Z</published>
    <updated>2011-01-05T09:53:17Z</updated>
    
    <summary>いやァ、この正月は蒲鉾に思いきり いってみました。 というほど、大げさなものでは...</summary>
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        <name>Taosa</name>
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        いやァ、この正月は蒲鉾に思いきり
いってみました。
というほど、大げさなものではないのですが、
なにしろ、正月料理は三ヵ日、
紅白の蒲鉾、黒豆、数の子と決めてありますので。

        <![CDATA[<img alt="neriwaza.JPG" src="http://taosa-world.net/neriwaza.JPG" width="560" height="420" />
で、暮に、いつも蒲鉾を取り寄せしている
八幡浜の<span class="big">谷本</span>からDMの如きものが送られてきました。
よく見ると、何やら大層な蒲鉾が写真入りで出ております。
まずは、<span class="big">値段</span>にビックリでありました。
1本、2，500円であります。
紅、白、<span class="big">金箔</span>入りの3本セットで、
ナ、ナ、ナント、7，500円でありまっし。
しかも無添加、<span class="big">受注</span>生産となっている。
いつもの〈びり鯛〉のものにしようかと
気弱になりつつある<span class="big">我</span>が身を叱咤激励し、
よおく、DMを見ると、
1本が普通のものの<span class="big">3.5</span>倍くらいあるではありませんか。
ようし、これなら、と<span class="big">思</span>いつつ、
正月ぐらいは男になれ（大ゲサだねェ）。
それにしても金箔入りはいらんわナ、と、
紅白<span class="big">2本</span>セットを注文することにした。
もちろん、その他揚げ巻やらじゃこ天やらもいっしょであります。
27日締切りの<span class="big">30</span>日着。どんな蒲鉾やねンと
待ちかまえておりました。そうしたら、これ（写真）ですワ。
木箱入りです。<span class="big">紅白</span>のゴム紐がかかっている。
材料は鱛(えそ)であります。名前も練技ときたもんです。
<span class="big">三</span>代目谷本(三代目くらいでえらそうにすんなョナ)と
朱印の上にある。
これなら、5，000円（紅白2本）もしゃあないか
と<span class="big">思</span>わせるパッケージであります。
中には、<span class="big">幅</span>6センチ、<span class="big">長</span>さ16センチ、<span class="big">高</span>さ4センチほどの
蒲鉾が紅白2本並んで鎮座しております。
いやァ、<span class="big">立派</span>なお姿であります。
はてさて、お味は、と思ったが、元旦までおあずけにして待つことにした。

さて、いよいよ<span class="big">正月</span>であります。
お屠蘇には、昨年10月に新潟長岡へ行った時に買っておいた、
朝日山酒造特選、季節限定の〈越<span class="big">淡</span>麗〉であります。
朝日山酒造は、戦後、一世を風靡した、朝日から旭日の輝きが出ている
ちょっとケバいラベルの朝日山一<span class="big">升</span>瓶で売れに売れたのでした。
しかし、ウイスキー時代、焼酎ブームの陰に隠れ、姿を消したかに思われたが、
〈久保田〉ブランドのすっきりとした<span class="big">飲</span>み口の日本酒で
息を吹き返した。エライのは、この後で、
<span class="big">久保田</span>は四角い和紙
（これも千寿、万寿…とランクが上がるごとに紙質も上等になっている）に
久保田の<span class="big">墨</span>文字だけという時流に乗ったものであったが、
商売が順調になると、4合瓶の特選朝日山を限定販売した。
昔のラベルを<span class="big">リ</span>デザインし、
ブルーが基調の瀟洒なラベルにして復活させたのです。
<span class="big">志</span>を捨ててないという事であります。
そして、秋の新米の後に、金を基調とした朝日山ラベルの4合瓶〈越淡麗〉を
<span class="big">季節</span>限定で発売し始めたのですナ。
これが美味い。しかも目出度い。金が基調です。朝日です。
正月は、もう、これしか<span class="big">考</span>えられません、というお酒です。
しかし、現在アルコールはドクターストップの我が身。
N倉、M屋<span class="big">君</span>からいただいた
赤の江戸切子のお猪口に一杯だけいただくと、
谷本自慢の<span class="big">練技</span>を一口。
ン…。いつも食べている蒲鉾とどこか違う。
食感が違う。弾力がない。<span class="big">歯</span>ごたえがないのではない。
余計なものが抜いてある、とでもいった感じである。
思わず、<span class="big">数</span>の<span class="big">子</span>を口に入れる。
これは、コリコリと、いつものようである。
続いて<span class="big">黒豆</span>は。これもふっくらである。
再び、蒲鉾へ行く。じっくりと魚の味がする。
なるほど、<span class="big">子</span>供の頃に食べていたのは、こうした
蒲鉾であったような記憶が甦ってくる。
餅を<span class="big">焼</span>きながら、昆布と鰹節で一番出し汁を取り、
薄口醤油で味をととのえ、
揚げ<span class="big">巻</span> (かまぼこを薄い揚げで巻いたロール巻きのようなもの)を
3切れ、春菊と焼きあがった餅を2個と、
柚子の皮を一切れ<span class="big">吸</span>い口に入れた雑煮を食べる。

いつもの事ながら、この後は、まず、氏神さまである
天祖神社へ<span class="big">初詣</span>に行く。必ず午前中に行く。
午前中に行くのが慣わしであり、お札一式を買って帰ると、
さっそく、昨年のものと<span class="big">取</span>り<span class="big">換</span>える。
後は、サッカーの天皇杯をテレビ見物となる。
青空を<span class="big">窓</span>の外に見ながら、お茶を飲みつつ、
ボールゲームを見ている。
やはり、鹿島アントラーズは<span class="big">実力</span>が違う。
不思議なほどに穏やかなものだ。
こんな日が1年<span class="big">続</span>くわけもないなどと、ふと想ってしまう。
それほどに穏やかな元旦である。

まさに、<span class="big">天気晴朗</span>なれど…だ。
陽も西へ傾き、茜色に窓が染まる頃、
たくさんいただいた年<span class="big">賀</span>状を眺めながら、
それぞれの顔を想い出す。これも正月ならではだが、
みんな、<span class="big">無事</span>だといいがとボンヤリ思う。
心配しているような、してないような。
ノン<span class="big">ビリ</span>のような<span class="big">ノン</span>ビリでないような。
正月のような、正月でないような気分であるが、
ふと頭を過る<span class="big">朝</span>の食卓の
堂々たる蒲鉾に、新年はスタートを切った事を思い起こされる。
これぞ、<span class="big">悩</span>みに悩んだ蒲鉾効果というものだ。

まっ、ラグビー<span class="big">大学</span>選手権準決勝は、
早稲田が後半明治を圧倒し、本来のスタイルのゲーム展開で勝った。
箱根<span class="big">駅伝</span>も、往路は、東洋大に逆転されたものの、
復路で逆転。18年ぶりの総合優勝を遂げた。
解説の<span class="big">瀬古</span>なんか、もう、冷静さが声から失せ、
１ファンの如きでありました。

まずは、順調に<span class="big">滑</span>り出した新年ではある。
何よりも、すべてに無事を<span class="big">祈</span>る。

無事という<span class="big">基本</span>がなければ、大きな展開も無かろう。
しかし、理由は<span class="big">無</span>いがどことなく安心がない。

<span class="big">気分</span>は「天気晴朗なれど…」である。
因果な<span class="big">性分</span>である。我ながら、困ったもんだ。
もういい<span class="big">齢</span>だというのに。

さて、今年は<span class="big">ど</span>んな年になるのやら。
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